僕はいったい何をしてるのだ?ということなのである。

公務員を目指すという名目のうちに寝たいだけ寝て、読書に耽り、かれこれもう3年目。
自分の中でがむしゃらさというものがないことを、ともすれば、障害や鬱の影にしまいこんで言い訳をし、自身の心までもよく鑑みもせずに正当化してしまっているのではないか。という疑念が湧いてきて、果たして自分のがんばりががんばりと呼べるほどに精一杯のものであったのか?と自問自答してみたところ、そのような自己に対する闘争をほぼ放棄していたという結論に達することをごまかすことができないほどに自分は堕落しきっているとを認めざるをえないのである。

かかる態度は、闘うべき相手であり、また共存していかなければならない自分の障害に対しても、不遜な態度であるといえる。なぜなら僕は障害を治すために、戦っているという態度を闡明しつつ、その実、自分の都合の悪いときには障害というものに寄りかかり、味方に引き入れ行動を正当化するための盾としているのであるから。

つまり、自分ががんばっていると、そして障害と闘っていると偽りなくいえるためには、まさに字の如く自分の怠惰に常に闘いつづけていなければいけないのである。
怠惰に負けるときがあったとしても、闘う前から怠惰という誘惑に赴いてしまっている自分の態度に、がんばりという言葉を冠するのは、まことに適当でない。

もし今のまま偽りのがんばりに満足した自分でいれば、公務員になること以前に何ごとも成し遂げられぬであろう。

と思ったので、本当にがんばらなければと、自己の怠惰と戦おうと、休憩なしでできるまで勉強をがんばることにした。8時間で集中が切れた。しかし、8時間できた。やればできるじゃないか。自分はこの場において、8時間より後の怠惰に負けて勉強を止めたが、それは自分の怠惰という欲望と闘って力尽きたわけであるから、ここにおいて、初めて自分は真実でがんばった、といえるわけである。そしてそれは障害を言い訳にしない意味において、障害とも闘ったということであり、障害に対しても誠実な態度となりえるわけである。

8時間勉強できたという気力があるのに、安易に寝たいだけ寝ている現状が続く限り、僕は周りだけでなく僕自身に嘘をつきつづけてい分けである。怠惰と戦いつづけつことだけが、自己に正当性を付与できるのだ。がんばらねば。

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