抑圧されたフェミニズム
2004年11月18日 僕の思ったこと母は自分では認めないが、ガチガチのフェミニストだ。
だから、ことごとくどんな物事も男性社会と結び付けてしまう。
しかし、そうなるのもわかる気がする。母と父は共働きなのに、父はパチンコに出かけ、家事育児は母親が一手に引き受けていた。
祖母とは何かと折り合いが悪く、それは祖母がやはり実子の父のほうをかばってしまうことにある。
母の性格は、長年そういう中で耐えてきたせいか、卑屈になって、どうせ自分なぞ、という感じになってる。その鬱憤が、最近爆発している感じだ。
積年の不満が、フェミニズム的な思考と結びついてしまったのだ。
つまり、母は、女性差別がはなはだしい時代から公務員として働いてきた中で女性の待遇に対して、不満を抱え、落ち着けるはずの家でも、自分を守ってくれるはずの家族もおらず、何よりも家庭を顧みない父を、男性の一般的典型と見なすようになってしまった。
そして、自分がこうであるのは、父のような一般男性の価値観が占める世の中のせいである、という結論に至った。
それが、反骨精神に向けばいいのだが、母の場合それが自己卑下という方向に向かってしまった。父や祖母と対決するのではなく、自分の不満を溜め込み、自分の殻にとじこもってしまった。
たとえ、自分を守るすべであったとしても、はたから見ると、その姿は非常に痛々しい。
人が何気なくいった言葉にも過剰に反応して、言葉の裏を探り、自分で、自分に悪い解釈をして、ますます、どうせ私が悪いのだ、とか、私がガマンすればいいんでしょ。みたいな考えになってしまう。
父とは対決しないが、それは小言となってあらわれる。
自分を少しづつ傷つけながらも、そん状態を保っているのは、対決することで、さらに事態が悪化することからの恐怖心である。
母もそれを自覚している。
僕の考えはというと母は父に対して、律儀に家事をするのではなくて、家事を一度放棄してみればいい、と思う。
しかし、母は自分にはそれをする勇気がないという。一歩踏み出すのはそれだけエネルギーを使う。その先に自己の解放が待っているとわかっていても、すでに母の考えは保守的になってしまって、どうにも変えられないところまで来ている。
僕はそんな母に楽になって欲しくて、どうにか、もっと大雑把になるように仕向けようと思っている。他人が何を言おうが、どうでもいい。という風に考えられれば、家事にしても、自分で決めたルールをきっちりしてしまうのではなくて、この程度でいいや、と思えるようになれば、どんなに母は救われることだろう。
そもそも、父と母が共働きなのに、母だけが家事をするというのがおかしいことぐらい、子供心に僕にもわかった。だから、僕も幼いころからフェミニズム的な思考が芽生えていたはずだし、まして母の育児で育った僕は他人から見れば、かなりのフェミニスト、に見えるのかもしれない。ただ、僕は女性の擁護を唱えるわけではない、あくまで、肉体的な差異を別とすれば、現代は男女間の確固とした能力的な差異なんてないという考えのもとから、男女ではなくいち人間として考えていくべきだと思っているだけだ。
だから、たまに人に「なぜ女性の肩ばかりを持つ?」と聞かれるが、けして女性の肩をもっているわけではなく、その部分が男性に対して女性のほうがどう見ても不平等だと思われるからだ。
逆に、男性の方が不平等だと感じれば僕は男性を擁護する。
全体的に女性の肩を持っているように見えるならば、それはまだ現実として、女性の不平等の方が多いからなのだろう。
閑話休題
とにかく母は、そんな不平等により自虐思考へ陥ってしまった。
だから、僕のほうから一歩を踏み出した。勇気を出して、母が避けたがっている問題の話をして母をその問題と対峙させた。
それよって母が傷つくことは僕も辛かったが、母を救うにはそれを乗り越えるしかなかった。何度か、泣きあって話し合った。
それは考えた通り、よい方向へと向かった。
僕は母の鬱憤を発散できる相手になりたかった。
僕が母と喧嘩をするときは、母が自分を溜め込んで、自虐思考に陥ってしまうときだ。僕はそうやって母が自分を傷つけるのが絶えられない。悲しくなるし、腹が立つ。
今、母は徐々に自分を解放させていると感じる。好きなことを積極的にしだしたし、まだまだ道は長いが、以前より、人生を楽しみだした。
母が僕に鬱憤を貯めず、正直な気持ちを話してくれるときが、何よりうれしい。
母にはこれからは、自分のために生きて欲しい。
だから、ことごとくどんな物事も男性社会と結び付けてしまう。
しかし、そうなるのもわかる気がする。母と父は共働きなのに、父はパチンコに出かけ、家事育児は母親が一手に引き受けていた。
祖母とは何かと折り合いが悪く、それは祖母がやはり実子の父のほうをかばってしまうことにある。
母の性格は、長年そういう中で耐えてきたせいか、卑屈になって、どうせ自分なぞ、という感じになってる。その鬱憤が、最近爆発している感じだ。
積年の不満が、フェミニズム的な思考と結びついてしまったのだ。
つまり、母は、女性差別がはなはだしい時代から公務員として働いてきた中で女性の待遇に対して、不満を抱え、落ち着けるはずの家でも、自分を守ってくれるはずの家族もおらず、何よりも家庭を顧みない父を、男性の一般的典型と見なすようになってしまった。
そして、自分がこうであるのは、父のような一般男性の価値観が占める世の中のせいである、という結論に至った。
それが、反骨精神に向けばいいのだが、母の場合それが自己卑下という方向に向かってしまった。父や祖母と対決するのではなく、自分の不満を溜め込み、自分の殻にとじこもってしまった。
たとえ、自分を守るすべであったとしても、はたから見ると、その姿は非常に痛々しい。
人が何気なくいった言葉にも過剰に反応して、言葉の裏を探り、自分で、自分に悪い解釈をして、ますます、どうせ私が悪いのだ、とか、私がガマンすればいいんでしょ。みたいな考えになってしまう。
父とは対決しないが、それは小言となってあらわれる。
自分を少しづつ傷つけながらも、そん状態を保っているのは、対決することで、さらに事態が悪化することからの恐怖心である。
母もそれを自覚している。
僕の考えはというと母は父に対して、律儀に家事をするのではなくて、家事を一度放棄してみればいい、と思う。
しかし、母は自分にはそれをする勇気がないという。一歩踏み出すのはそれだけエネルギーを使う。その先に自己の解放が待っているとわかっていても、すでに母の考えは保守的になってしまって、どうにも変えられないところまで来ている。
僕はそんな母に楽になって欲しくて、どうにか、もっと大雑把になるように仕向けようと思っている。他人が何を言おうが、どうでもいい。という風に考えられれば、家事にしても、自分で決めたルールをきっちりしてしまうのではなくて、この程度でいいや、と思えるようになれば、どんなに母は救われることだろう。
そもそも、父と母が共働きなのに、母だけが家事をするというのがおかしいことぐらい、子供心に僕にもわかった。だから、僕も幼いころからフェミニズム的な思考が芽生えていたはずだし、まして母の育児で育った僕は他人から見れば、かなりのフェミニスト、に見えるのかもしれない。ただ、僕は女性の擁護を唱えるわけではない、あくまで、肉体的な差異を別とすれば、現代は男女間の確固とした能力的な差異なんてないという考えのもとから、男女ではなくいち人間として考えていくべきだと思っているだけだ。
だから、たまに人に「なぜ女性の肩ばかりを持つ?」と聞かれるが、けして女性の肩をもっているわけではなく、その部分が男性に対して女性のほうがどう見ても不平等だと思われるからだ。
逆に、男性の方が不平等だと感じれば僕は男性を擁護する。
全体的に女性の肩を持っているように見えるならば、それはまだ現実として、女性の不平等の方が多いからなのだろう。
閑話休題
とにかく母は、そんな不平等により自虐思考へ陥ってしまった。
だから、僕のほうから一歩を踏み出した。勇気を出して、母が避けたがっている問題の話をして母をその問題と対峙させた。
それよって母が傷つくことは僕も辛かったが、母を救うにはそれを乗り越えるしかなかった。何度か、泣きあって話し合った。
それは考えた通り、よい方向へと向かった。
僕は母の鬱憤を発散できる相手になりたかった。
僕が母と喧嘩をするときは、母が自分を溜め込んで、自虐思考に陥ってしまうときだ。僕はそうやって母が自分を傷つけるのが絶えられない。悲しくなるし、腹が立つ。
今、母は徐々に自分を解放させていると感じる。好きなことを積極的にしだしたし、まだまだ道は長いが、以前より、人生を楽しみだした。
母が僕に鬱憤を貯めず、正直な気持ちを話してくれるときが、何よりうれしい。
母にはこれからは、自分のために生きて欲しい。
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