人間に対してロマンチズムを抱く場合、どうしても社会主義というものは理想的に映る部分があり、多かれ少なかれ左翼的になってしまう部分を否定は出来ないだろう。だから僕も心情的には左翼ということになるのかもしれない。

僕は、どんな人も傷つくべきではないし、平等であるべきだと思っている。
だから、人の価値観を否定はしたくない。
しかし、人の価値観を受け入れるとなると、人を傷付けてもかまわないとする人の価値観をも受け入れなければならなくなり、それを否定すると、そこに差別が生じ、平等ではなくなる。かといって否定しなければ、その人によって他の人が傷つくことになり、そこに差別が生まれ、やはり平等ではなくなる。

このジレンマを打破するために、多くの独裁者は、自分の価値観と近づけるために、はたまた、人間間の差異を極力なくすように勤めることになって、そして、弾圧、虐殺、言論封鎖なんてことになり、独裁者は専制者に変わってしまう。そして、理想はいつしか、正反対の、もっともその独裁者が嫌悪していた差別を自ら胚胎させることになる。

ああ、パラドックス。

人間が全員、聖人君子であれば、神であれば、過ちを犯さない哲人であれば、みんなの価値を受け入れ、且つ差別も生み出さず、誰も傷つかないという世の中も可能だろう。でも実際にはそんなこと不可能だ。

ああ、人間は度し難いなあ。

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