読書 『境界性人格障害(BPD)のすべて』
2004年11月6日 読書
ISBN:4899760701 単行本 星野 仁彦 ヴォイス 2004/06 ¥1,995
僕は幼いころBPDであり、現在、BPDの人とメールのやり取りをしている。
少しでも、その人のことを理解するためにこの本を読んだ。そして、この本に書いていることはすべて、以前の自分と、そして、今やり取りをしている人の特徴に当てはまる。
BPDの人とのコミュニケーションを困難たらしめている最大の要因は、その情緒の一貫性のなさ、爆発的な感情の発露である。
そしてそれは、主として依存している相手にたいして顕著に表れる。もっとも大切に思っている人たちに対して抑制のない怒りをぶつけてしまうのだ。
BPDの人々の心の中には、見捨てられることへの恐怖と、親密になりすぎることへの不安、この二つの相反する感情が混在している。親密さを切望しつつ、同時にそれにおびえ、最もつながりを持ちたいと思っている相手を撥ね付けることになってしまうのだ。
BPDの人々は、安定した核としたアイデンティティをもっていない。つまり、常に他者を過剰に意識しその他者の対応によってぐらぐらと自己像(自分に対する価値)が揺らぐことになる。当然、それは相手との信頼関係においても、同様であり、通常の人が持つべき、対象恒常性に欠けている。対象恒常性とは、相手が離れていても、自分とその人との関係が継続しているという状態に対する認識のことである。境界の人は、自分から、少しでも相手が離れようものなら、自分が見捨てられたと解釈するか、もしくはその恐怖に駆られてしまうのだ。
これはいまだに僕も改善できずにいる問題だが、BPDの人は、矛盾を見過ごすことができない。常に、白か黒、二者択一的な考えをしてしまうのである。対人間に対しても自分に対して、敵か味方か。自分を嫌っているか好いているか。その中間は存在しない。僕は今はそれらの関係はある程度克服したが、善悪のモラルに対して、未だに矛盾を看過できずに、大きな障壁となっている。
BPDを克服するには、まず、変わるべきは自分であって他の人たちではないことを理解しなければならない。自分自身を変えていくためには自分の心と向き合っていくしかない。長年の間に身に付けた意識は、その意識を意識することによって、意図的に努力しなければ変わらないのだ。
二者択一的な感情の改善。幾重にも積み重ねられた感情の層を打ち破り、自己の本当の気持ちを掘り起こし、それが自分の一部であることを受け入れなければならない。「不快な感情」を否定したり拒絶したり非難したりせずに、受け止めることの心地よさを学ぶ必要がある。
BPDの人は、現実に立ち向かうのではなく、運命を呪うことで、自分を正当化しているにすぎないこと、怒りというもっともらしいベールに隠れて、恐ろしい自己分析や、自分を変えざるを得なくなる問題を直視するのを避けているからこそ、無力な自分を脱することができずにいるのだということを理解しなければならない。
そうして立ち向かうには、様々な助けや、努力が必要だ。論理的な思考を身に付けること、自分の感情や、混沌とした思考を掘り下げ、真実を判断するための沢山の材料をもつことも努力のひとつといえよう。僕がそもそも映画や本を読み出したのも、そういった理由からであった。
自分にかかわる最終的な責任はBPDである本人にしかとれない、そしてそれは、どれほど力になろうとする気持ちはあっても、他の誰にも肩代わりすることはできないのだ。
では、BPDの人に対して、我々が力になれることはというと、その材料の提供と、彼らをそういった姿勢へ導いていくこと、そして、決して、自分からはBPDの人への門戸を閉ざさないという覚悟を持つことである。
我々が現在直面している大きな社会問題-児童虐待、家族の崩壊、離婚等-に深く関与する、一貫性がないこの症候群について、詳しく知りたいと切実に願う一般の人々を対象とし、頭だけでなく心情面からも理解できるよう解説。「I HATE YOU -don’t leave me」これが境界性人格障害(以後BPD)の偽らざる真実の状態である。
目次
第1章 BPDの人たちが生きる世界
第2章 カオスと空虚感
第3章 BPDの原因
第4章 BPDを生みだす社会
第5章 理解と治癒
第6章 BPDの人々とのコミュニケーションを築く
第7章 よりよい治療を求めて
第8章 BPDの人たちに対応する
インタヴュー 「境界性人格障害の日本での状況とこれからの課題―その背景を見つめ、希望の光をもとめて」
補遺 ボーダーラインパーソナリティ症候群の発展・進化
僕は幼いころBPDであり、現在、BPDの人とメールのやり取りをしている。
少しでも、その人のことを理解するためにこの本を読んだ。そして、この本に書いていることはすべて、以前の自分と、そして、今やり取りをしている人の特徴に当てはまる。
BPDの人とのコミュニケーションを困難たらしめている最大の要因は、その情緒の一貫性のなさ、爆発的な感情の発露である。
そしてそれは、主として依存している相手にたいして顕著に表れる。もっとも大切に思っている人たちに対して抑制のない怒りをぶつけてしまうのだ。
BPDの人々の心の中には、見捨てられることへの恐怖と、親密になりすぎることへの不安、この二つの相反する感情が混在している。親密さを切望しつつ、同時にそれにおびえ、最もつながりを持ちたいと思っている相手を撥ね付けることになってしまうのだ。
BPDの人々は、安定した核としたアイデンティティをもっていない。つまり、常に他者を過剰に意識しその他者の対応によってぐらぐらと自己像(自分に対する価値)が揺らぐことになる。当然、それは相手との信頼関係においても、同様であり、通常の人が持つべき、対象恒常性に欠けている。対象恒常性とは、相手が離れていても、自分とその人との関係が継続しているという状態に対する認識のことである。境界の人は、自分から、少しでも相手が離れようものなら、自分が見捨てられたと解釈するか、もしくはその恐怖に駆られてしまうのだ。
これはいまだに僕も改善できずにいる問題だが、BPDの人は、矛盾を見過ごすことができない。常に、白か黒、二者択一的な考えをしてしまうのである。対人間に対しても自分に対して、敵か味方か。自分を嫌っているか好いているか。その中間は存在しない。僕は今はそれらの関係はある程度克服したが、善悪のモラルに対して、未だに矛盾を看過できずに、大きな障壁となっている。
BPDを克服するには、まず、変わるべきは自分であって他の人たちではないことを理解しなければならない。自分自身を変えていくためには自分の心と向き合っていくしかない。長年の間に身に付けた意識は、その意識を意識することによって、意図的に努力しなければ変わらないのだ。
二者択一的な感情の改善。幾重にも積み重ねられた感情の層を打ち破り、自己の本当の気持ちを掘り起こし、それが自分の一部であることを受け入れなければならない。「不快な感情」を否定したり拒絶したり非難したりせずに、受け止めることの心地よさを学ぶ必要がある。
BPDの人は、現実に立ち向かうのではなく、運命を呪うことで、自分を正当化しているにすぎないこと、怒りというもっともらしいベールに隠れて、恐ろしい自己分析や、自分を変えざるを得なくなる問題を直視するのを避けているからこそ、無力な自分を脱することができずにいるのだということを理解しなければならない。
そうして立ち向かうには、様々な助けや、努力が必要だ。論理的な思考を身に付けること、自分の感情や、混沌とした思考を掘り下げ、真実を判断するための沢山の材料をもつことも努力のひとつといえよう。僕がそもそも映画や本を読み出したのも、そういった理由からであった。
自分にかかわる最終的な責任はBPDである本人にしかとれない、そしてそれは、どれほど力になろうとする気持ちはあっても、他の誰にも肩代わりすることはできないのだ。
では、BPDの人に対して、我々が力になれることはというと、その材料の提供と、彼らをそういった姿勢へ導いていくこと、そして、決して、自分からはBPDの人への門戸を閉ざさないという覚悟を持つことである。
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