映画 『トーク・トゥ・ハー』
2004年10月1日 映画〔洋画〕
DVD 日活 2004/02/16 ¥3,990
ただ、真実の愛とはどっちなのだろう。相手の状態や、慣れによって冷めてしまうのは、果たしてほんとの愛なのか?相手を知ってしまったら、すぐに別れてしまうのは、その人の姿態や、そのときの感情に惹かれているだけで、その人そのものを愛しているといえないのではないか。
ベニグノは、アリシアの存在そのものを愛する。だから、彼女がどんな状態であろうと、どうなろうと関係ない。だから、愛は揺らがない。
しかし人は彼をみて、異常という。
揺るがぬ愛が異常で、すぐに離れる愛が正常なのか。
彼は彼女をレイプしたが、レイプした意識も邪気もない。それは罪として裁かれるべきだが、だが、純粋なベニグノの心は、どの人間よりも、本来正常と呼ばれてしかるべきなのだと、マルコは気づく。マルコは、本当の愛とはベニグノがアリシアに持っていたような愛なのだと気づいたんだと思う。
設定は極端で過激。でも、なぜか共感を誘ってしまう登場人物たち。ペドロ・アルモドバル監督の持ち味が最大限に生かされ、第75回アカデミー賞で脚本賞を受賞した一作。相手がどんな状態になろうと、その相手を愛しつづける。たとえば、相思相愛なら、なんでもないことが、片一方の一方的な愛になると、それはストーカーとか、変質者とか呼ばれてしまうことになる。
ともに愛する女性が昏睡状態になってしまったため、必死に看病を続けるふたりの男。しかし、ひとりは、元気だった頃の彼女をストーカーのように思い続けていたという屈折した過去がある。この映画がフォーカスするのは、献身的な愛を、相手の意思に関係なく一方的に与えることができる、その無情の喜びだ。アルモドバルは、サイレント映画や、ピナ・バウシュのダンス作品を巧みに織り込み、愛することにまっすぐにならざるを得ない人間の本能をえぐり出す。彼の作品に頻出するゲイ要素も、本作はわりと希薄。
一見、愛に深入りしないように見えるもうひとりの男も、ダンスや音楽に触発されて思わず涙を流す。そんな何気ない描写に、固定観念に対する監督の反抗心がチラリ。そして、絶望の後の希望に溢れたラストからは、またもや人生への惜しみない賛歌が受け取れ、感動せずにはいられない。
ただ、真実の愛とはどっちなのだろう。相手の状態や、慣れによって冷めてしまうのは、果たしてほんとの愛なのか?相手を知ってしまったら、すぐに別れてしまうのは、その人の姿態や、そのときの感情に惹かれているだけで、その人そのものを愛しているといえないのではないか。
ベニグノは、アリシアの存在そのものを愛する。だから、彼女がどんな状態であろうと、どうなろうと関係ない。だから、愛は揺らがない。
しかし人は彼をみて、異常という。
揺るがぬ愛が異常で、すぐに離れる愛が正常なのか。
彼は彼女をレイプしたが、レイプした意識も邪気もない。それは罪として裁かれるべきだが、だが、純粋なベニグノの心は、どの人間よりも、本来正常と呼ばれてしかるべきなのだと、マルコは気づく。マルコは、本当の愛とはベニグノがアリシアに持っていたような愛なのだと気づいたんだと思う。
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