中傷からは何も生まれないし、何の解決ももたらしてはくれない。
自分の一時の感情の発散はできても、代償として、相手との溝はますます深まるばかり。
人間関係を営む限り、価値観や思考の違いから、さまざまな摩擦が生まれるのは当然の話だが、その摩擦に対して、問題の本質を指摘するのではなく、中傷しても、なんにもならない。
矛盾や、疑問を提起することと、中傷とを混同してはいけない。
そこには明確な違いがある。矛盾や疑問は、ある人がその人のある一部分に対して、価値観のずれによる齟齬の解決を目指して、何らかの説明を求める行為であるのに対して、中傷は、ある人が、その人のある部分に対しての疑問をそのままその人の人間性へと転化し、建設的な解決をないがしろにして、その人の全体を非難するという行為である。
たとえば、この違いが明確に区別できるならば、ある問題について激しい議論を展開したあとにおいても、その相手とまた何の分け隔てもなく接することができる。
しかし、この区別ができない場合、議論で言い合ったことに対して、その意見の齟齬をあたかも自分が中傷されたかのように誤解して、議論が終わったその後においても、相手に対して、怒りや怨念や敵対心を抱くことになる。
では、中傷とはいったいなんなのか?
僕は、たとえば、「バカ」、「まぬけ」、「キモイ」、「死ね」などの言葉を中傷と解している。
これらの言葉は総じて具体がなく、抽象的に相手を否定する。
たとえば、「こうこうこういった部分において、こうこうこういった理由から、あなたのこの部分は間が抜けているように思われる」と言うならわかるが、「こうだから、お前は間抜けだ」と言ってしまっては、真意はともかく、字義上は、ある部分だけの問題で、その人全体が間抜けであるような印象を免れない。
誰が何の格好をしていようと、どんな趣味があろうと、その人について公言するのであれば、中傷は、偏見や差別になる。
その人の趣味や思考が、自分とあわなくても、それはその人が「キモイ」わけではないのだ。
確かに公共の場に不適切な格好やしぐさになる場合もある。そのときも、中傷するのではなく、この場には不適切だと思う旨を伝えてあげればいいだけの話だ。
「バカ」や、「キモイ」などと言っても、何の改善も生まれない。その人に、不適切だと自分が思う部分を伝え、改善への手助けをしてあげればいいだけの話だ。
ムカツクと言って、無視したり、迫害を加えたりするのはなぜか?そこに快感を見出している人は、すでにして犯罪者と何ら変わることのない罪を犯している。
その人に不満があるなら、その人に対して、どういうところを治したらいいと自分は思うかを率直に述べてあげればいい。そして、そのことについて、議論すればいい。
その人に、不満な部分があるからと言って、その人の人間性を全て否定し、排他してよい根拠にはならない。
言葉は繊細でそれ自体に重要な意味をもっている。安易に使ってはならない。十分に留意が必要だ。その努力は、言葉を使うわれわれの義務であるはずだ。
中傷は、人間と人間との関係を崩すネガティブな作用しかもたない。
差別を憎み、偏見を嫌い、平和を願う人間ならば、使う必要のない言葉なはずだ。
自分の一時の感情の発散はできても、代償として、相手との溝はますます深まるばかり。
人間関係を営む限り、価値観や思考の違いから、さまざまな摩擦が生まれるのは当然の話だが、その摩擦に対して、問題の本質を指摘するのではなく、中傷しても、なんにもならない。
矛盾や、疑問を提起することと、中傷とを混同してはいけない。
そこには明確な違いがある。矛盾や疑問は、ある人がその人のある一部分に対して、価値観のずれによる齟齬の解決を目指して、何らかの説明を求める行為であるのに対して、中傷は、ある人が、その人のある部分に対しての疑問をそのままその人の人間性へと転化し、建設的な解決をないがしろにして、その人の全体を非難するという行為である。
たとえば、この違いが明確に区別できるならば、ある問題について激しい議論を展開したあとにおいても、その相手とまた何の分け隔てもなく接することができる。
しかし、この区別ができない場合、議論で言い合ったことに対して、その意見の齟齬をあたかも自分が中傷されたかのように誤解して、議論が終わったその後においても、相手に対して、怒りや怨念や敵対心を抱くことになる。
では、中傷とはいったいなんなのか?
僕は、たとえば、「バカ」、「まぬけ」、「キモイ」、「死ね」などの言葉を中傷と解している。
これらの言葉は総じて具体がなく、抽象的に相手を否定する。
たとえば、「こうこうこういった部分において、こうこうこういった理由から、あなたのこの部分は間が抜けているように思われる」と言うならわかるが、「こうだから、お前は間抜けだ」と言ってしまっては、真意はともかく、字義上は、ある部分だけの問題で、その人全体が間抜けであるような印象を免れない。
誰が何の格好をしていようと、どんな趣味があろうと、その人について公言するのであれば、中傷は、偏見や差別になる。
その人の趣味や思考が、自分とあわなくても、それはその人が「キモイ」わけではないのだ。
確かに公共の場に不適切な格好やしぐさになる場合もある。そのときも、中傷するのではなく、この場には不適切だと思う旨を伝えてあげればいいだけの話だ。
「バカ」や、「キモイ」などと言っても、何の改善も生まれない。その人に、不適切だと自分が思う部分を伝え、改善への手助けをしてあげればいいだけの話だ。
ムカツクと言って、無視したり、迫害を加えたりするのはなぜか?そこに快感を見出している人は、すでにして犯罪者と何ら変わることのない罪を犯している。
その人に不満があるなら、その人に対して、どういうところを治したらいいと自分は思うかを率直に述べてあげればいい。そして、そのことについて、議論すればいい。
その人に、不満な部分があるからと言って、その人の人間性を全て否定し、排他してよい根拠にはならない。
言葉は繊細でそれ自体に重要な意味をもっている。安易に使ってはならない。十分に留意が必要だ。その努力は、言葉を使うわれわれの義務であるはずだ。
中傷は、人間と人間との関係を崩すネガティブな作用しかもたない。
差別を憎み、偏見を嫌い、平和を願う人間ならば、使う必要のない言葉なはずだ。
コメント
人間関係に問題が起きても、以前の私よりも早く解決できることでしょう。
ありがとう御座いました。
ありがとうございます。
僕の価値観の範囲を出ませんが、こうやって考える際の材料にしてくれる人がいるのは、日記を書いた甲斐があったというものです。