まあ、常識だけども、約束って、それが履行できないのであれば、相手が事に足を突っ込む前に、その旨を伝えなければならない。
逆にいえば、約束を白紙に戻さなければならないことに正統な理由があり、相手がそのことを実行に移していないうちであれば、信頼を失うことなく約束を取り消すことができるということである。
相手がその約束事を実行に移した後ならば、約束を履行できなかった片方は、どんなに正統な理由があろうと、担保としての信頼を失いたくないのであれば、何らかの補填をおこなわなければならない。
それは、履行できなかった状況の説明責任と、その理由が、自分が非を伴うものかどうかを相手と共に検証していくことである。
当然、たんなる感情の変化などの利己的な理由は、正統な理由とならないし、他に約束を履行できる可能性があったにもかかわらず、それを見逃していた場合も自己の過失として非を免れない。
もし履行できない恐れのある場合は、事前にその恐れの可能性を相手に認証させておくなどの処置も必要だろう。
なお、相手がことを実行するとは、その準備もまた含まれると解するべきであり、非を認めた場合には、素直に謝まらなければならない。
しかし、自分が約束を破った側だからといって、自分の言い分を述べずに全てを非として謝る必要はない。自分に非があったとされる部分をお互いに吟味し見極めて、その部分において非を認めれば事足りる。そのためにも、理由を説明、そして自分の考えを述べることはぜひとも必要だし、それをしないのは更なる無責任なのである。
約束を破られたほうにも求められる態度というものがある。それは安易な感情に流される前に相手の言い分をきき、お互いに検証していくという行為を行うことである。問答無用などいうのは、たんなる自分の有利な立場を利用し相手に服従を強いる暴挙であり、戦勝国は戦争犯罪までも免除される、という理屈と変わらない。その際、理由を説明しようとする相手の言い分を弁解などという穿った解釈は、するべきでない。そこに、なんの真実味もないこじ付けの理論であった場合に、初めて弁解という言葉を使うべきであり、弁解である理由を相手に論証しない限りその弁解という定義づけもまた詭弁でしかなくなる。約束を破られた側が最もやってはならないことは、相手が信頼を回復しようとする行為に、まったく耳を傾けないということだ。
約束一つにとっても、これだけの(おそらくこれ以上の)マナーが存在し、それを怠るということがすなわち信頼の上にあぐらをかくということである。
逆にいえば、約束を白紙に戻さなければならないことに正統な理由があり、相手がそのことを実行に移していないうちであれば、信頼を失うことなく約束を取り消すことができるということである。
相手がその約束事を実行に移した後ならば、約束を履行できなかった片方は、どんなに正統な理由があろうと、担保としての信頼を失いたくないのであれば、何らかの補填をおこなわなければならない。
それは、履行できなかった状況の説明責任と、その理由が、自分が非を伴うものかどうかを相手と共に検証していくことである。
当然、たんなる感情の変化などの利己的な理由は、正統な理由とならないし、他に約束を履行できる可能性があったにもかかわらず、それを見逃していた場合も自己の過失として非を免れない。
もし履行できない恐れのある場合は、事前にその恐れの可能性を相手に認証させておくなどの処置も必要だろう。
なお、相手がことを実行するとは、その準備もまた含まれると解するべきであり、非を認めた場合には、素直に謝まらなければならない。
しかし、自分が約束を破った側だからといって、自分の言い分を述べずに全てを非として謝る必要はない。自分に非があったとされる部分をお互いに吟味し見極めて、その部分において非を認めれば事足りる。そのためにも、理由を説明、そして自分の考えを述べることはぜひとも必要だし、それをしないのは更なる無責任なのである。
約束を破られたほうにも求められる態度というものがある。それは安易な感情に流される前に相手の言い分をきき、お互いに検証していくという行為を行うことである。問答無用などいうのは、たんなる自分の有利な立場を利用し相手に服従を強いる暴挙であり、戦勝国は戦争犯罪までも免除される、という理屈と変わらない。その際、理由を説明しようとする相手の言い分を弁解などという穿った解釈は、するべきでない。そこに、なんの真実味もないこじ付けの理論であった場合に、初めて弁解という言葉を使うべきであり、弁解である理由を相手に論証しない限りその弁解という定義づけもまた詭弁でしかなくなる。約束を破られた側が最もやってはならないことは、相手が信頼を回復しようとする行為に、まったく耳を傾けないということだ。
約束一つにとっても、これだけの(おそらくこれ以上の)マナーが存在し、それを怠るということがすなわち信頼の上にあぐらをかくということである。
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