昨日録画しておいた、人間ドキュメントを見た。
「弓ひとすじ」 

熊本県芦北町、清流・球磨川を望む山里で弓作りに命を注ぐ職人がいる。2代目・肥後三郎、松永重昌さん(74歳)だ。ふだん穏やかな松永さんは仕事場では形相一変する。竹に自らの魂を注ぎ込むように、体を清め、夜を徹して行う弓作り。「肥後三郎」は弓道家にとって憧れの弓だ。
 4月末、松永さんが心待ちにする英国人が庵を訪れる。外国ではただ一人の弓道七段・リアム・オブライエンさん(58歳)だ。オブライエンさんは、5月4日に京都で行われる超難関の弓道八段審査に挑む。愛用する肥後三郎の調整と、自らの精神を高めるために松永さんの庵を訪ねるのだ。「弓は最高の射手を得て命を得る」と考える松永さんが、今最も信頼できる射手がオブライエンさんだという。肥後三郎が命を得る瞬間を目に焼き付けたいと、松永さんは京都での八段審査に同行する。
 5月4日。入場から退場まで12分。「的を射る技術」「品格」「真実を探求する心」、全てが試される瞬間だ。与えられる矢は2本。はたしてオブライエンさんの放つ矢は、“無心の射”の境地に届くだろうか。
 弓師と射手。日本人と英国人。弓の世界を追い求める2人を見つめる。
 オブライエンさんがこう言っている。「弓は何も変わらない。的も何も変わらない。変化するのは自分の心だけだ。心が変われば的にはあたらない。常に変わらぬ心を保てるか。それが弓道の魅力だ」と。弓道は、競技だが、人と競うものではない。相手は自分自身なのだ。自分自身の心。だから、よい成績を上げてもそれは勝ったことにはならない。すべての仕種に心を注ぎ、そして、不動の精神で弓を放つことができなければ意味がない。常に変化する心をいかに一つに静止できるかを試す競技なのである。弓は、自分の心の形を外に顕現させる道具にすぎず、その動作一つ一つが心の作用なのである。それは、僕たちに心の変化の豊饒さを物語ってくれる。目に見えるものだけが変化ではない。心に目を向ければ、そこにはさらに広大な、そして様様な変化見出すことが出来るのだと。
同じことをやっていても、常に心の変化に目を向けることができる人は、自己の成長を感じ、その物事から何かを得、飽くことはないだろう。心を蔑ろにする人は、詰らない、や、飽きたという一言だけで通りすぎてしまうだろう。この番組は語りかける。一言で済ましてしまう前に、立ち止まって、静寂の、無の変化について考えてみないかと。
この番組では、ひとりの職人を取り上げている。名弓肥後三郎を作り出す松永さんもまた、心と闘う。邪念を振り払い、弓を作ることに全身全霊を傾ける。いつか、精神と動作とがいったいとなり、一点の非の打ち所もない弓が作られることを目指して。弓作りにおいても、ただ性能の良い弓を作るだけではそれは名弓ではないのである。弓道も、弓作りも、同じである。弓道は一つの職人芸であり、弓作りも一つの道だ。弓を作るという同じ動作を続けるなかに、毎日、彼は心の変化を感じているのだ。
変わらぬ心を保つには、変わる心を知っておかなければならない。そして、毎日心と、自分自身と戦うわけである。
さて、心と戦うことにより何を得るか?良い弓を作るにしても、弓道を極めるにしても、それは心を自在にコントロールすることである。心を操れる人は、当然心で遊ぶことも出来るのだ。
心で遊ぶことが出来れば、人生に飽くことがないだろう。何をしていても何かを発見できるだろう。一枚の絵画の中に、様様な心の変化を見つけることが出来るだろう。
だから、詰らない、や、飽きた、と思ったときに、一歩立ち止まって、もう少し目を凝らしてみよう。そのものがまだ発見できることはないかと。見落としている感情はないかと。心をじっくりと観察してみよう。きっと、まだまだ面白い発見を見出すことが出来るはずである。

コメント

nophoto
K.Y.
2007年7月23日5:51

「弓ひとすじ」は

nophoto
斎藤
2007年7月23日6:49

 私は弓道を嗜みますが、「弓ひとすじ」は私に弓の道を教えた物の一つです。特に、松永重昌さんの一点の曇りもない弓を作ろうという心、オブライエンさんの正射を追求する心、そしてその心の美しさに大変引かれました。
 私は今大学受験という壁にぶつかっています。単調な勉強は退屈で詰らないと思うことも屡です。しかしこの手記を読んで、只管正射を目指すという一見単調な弓道の稽古では一度も退屈で詰らないなどと感じなかったことに気付きました。勉強においてもその様な心が得られる時まで、決して諦めずに精進しようと思いました。

キタム
キタム
2007年7月24日6:52

>斉藤さん
K.Y.さんと同じ方でしょうか?間違っていたらごめんなさい。
コメントありがとうございます^^
この番組は素晴らしかったですね。
まさに道とはよく言ったものだなと思いました。
日本の精神の素晴らしいところは、一見無に見えるものから、いかに有を見つけるかということではないでしょうか。
弓を追求している番組の二方は、同時に心も追求しています。
僕達はそういった一途な心を美しいと感じています。
つまり、一途な心が詰まらないものではなく、快いものだと知っているから、美しいと感じることができるのだと思うのです。
そして、一途な道が美しいのは、何も弓道だけではなく、どんなことにも言えます。
大学受験頑張ってください。勉学も一つの道です。精進することは、快いことだと、美しいことだと知っている斉藤さんは、勉強を楽しむことができますよ^^

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索