奈良と京都を行ったり来たり
2004年5月17日たっぷり寝た。寝に寝まくった。これでもかというくらい寝殺してやった。奥歯ががくがくいうくらい痛恨の睡眠を食らわしてやった。
といった、極度の満足感の元、もう朝か?と目を覚ますと、これは何たるまが事か!?まだ午前0時をすぎてちらほら程度しかたっておらず、結局3時間程度しか寝ていないという事実に違う意味で奥歯をがたがたいわす。
思い起こすかぎり、これほど疲れていたにもかかわらず、これほど短時間で体力を全開せしめた経験は過去になく、未曾有の睡眠体験。春眠暁に至らず。おそらくこれは、徹夜と試験による極度のストレスが潜在的に僕の精神にボディーブローを食らわし、それが相乗的に睡眠圧を高める結果と相成って、50年に一度(くらい)くらいしか体験できない熟睡の臨界点を出来させたのだと解釈し、このような行幸が毎日続いたならば、一日の行動時間が大幅に増え、便利なのになあとか思いながら、今日も朝まで、毛を抜きながら、大リーグ中継を見る。
でも何で毛を抜くんだ?
外は相変わらず、どんよりと暗く陰鬱であいまいな雨を滴らせ、「ふるならふれ!」ともどかしい気持をバイキングの朝食にぶつけて、パンを全種類制覇する。隣に座った中東の方々目をむき僕のくいっぷりに感嘆もしくは呆然のまなざし。気にしないでね。
この某ホテル自由に使えるパソコンを一つ置いていたので、ハーモニーに潜伏して、戯言なひとり言(日本語が変)を書きこむ。
今日は、京都で友達のK君と会う約束。
京都市から離れること、電車で約40分くらい。京都も観光地を離れると、ものすごい長閑な畑が広がる田舎であることを発見。まあ、当然っちゃ当然か。。。
彼ったら、僕とは少しく異なった障害を抱えながらも健気に頑張るお人。でも、実際に合うのははじめてなので、チョットばかし心配していたわけであったのだが、車で駅まで迎えにきた彼は、清清しくも満面の笑みをたたえ、緊張の面持ちもなく、そしてまたカッコ良く、その外貌からだけでは、障害を煩い苦しんでいるとはとてもとても思えないのであって、それは、意外ではあったが非常に喜ばしい意外事であり、車の中で会話を取り交わす限りにおいても、彼は、とても礼儀正しく、僕は今まで彼に多少なりとも抱いていた懐疑の念を恥じ、彼の純粋さに心いったのである。そう、彼は純粋すぎるくらいに純粋であった。思えば、純粋であるがゆえに、障害を煩ったともいえるのである。
K君との遊び、というか、交流は、お互いに趣味が合うというわけでもないのでK君の行きたいところに連れていってもらった。ボクシングジム、ゲーセン、彼の通う大学。ちょうど、K君の住んでいるところが奈良と京都の境目あたりにあるらしく、今京都、今は奈良、といった具合に何回かいったり来たりした。
久しぶりにしこたま歩いた。僕は非常に息切れし、確かに自分が半年前よりも太っていることを実感せずにいられなかった。あらためて、運動をしなければと心に誓う。
こうして、K君との交流は無事にすんだ。K君なら、いつか障害を克服できる。そういった核心が僕の心の内に芽生えた有意義な時間だった。もし僕が京都に住むことになれば、彼と再び再会し、今度は継続的な交流が開始されることだろう。彼の障害の回復は、もう既に僕の目標にもなってしまっているのだ。少なくとも現時点では、共に歩む覚悟はできているつもりだ。僕の現在の比較的余裕のある心理状態での覚悟にすぎないが、僕はそれを信じたい。彼が僕を必要としてくれている限りは、彼は僕の人生の間接的な人物ではありえない。直接的に、僕の人生を構成する有機体の一部なのである。そして、僕も彼の人生において、同様であるはずだ。それが、友と呼びうる関係なのだと僕は考えている。
さて、帰途に着く前に、友達のG君に、この前くれたMDのお返しに、お土産を購入。
大分に到着したのは、午後の10時半だった。
マンションに帰ると、晩飯は用意されておらず、寂しくぽつねんとラーメンをちゅるちゅるしてベットにゴロンした。
といった、極度の満足感の元、もう朝か?と目を覚ますと、これは何たるまが事か!?まだ午前0時をすぎてちらほら程度しかたっておらず、結局3時間程度しか寝ていないという事実に違う意味で奥歯をがたがたいわす。
思い起こすかぎり、これほど疲れていたにもかかわらず、これほど短時間で体力を全開せしめた経験は過去になく、未曾有の睡眠体験。春眠暁に至らず。おそらくこれは、徹夜と試験による極度のストレスが潜在的に僕の精神にボディーブローを食らわし、それが相乗的に睡眠圧を高める結果と相成って、50年に一度(くらい)くらいしか体験できない熟睡の臨界点を出来させたのだと解釈し、このような行幸が毎日続いたならば、一日の行動時間が大幅に増え、便利なのになあとか思いながら、今日も朝まで、毛を抜きながら、大リーグ中継を見る。
でも何で毛を抜くんだ?
外は相変わらず、どんよりと暗く陰鬱であいまいな雨を滴らせ、「ふるならふれ!」ともどかしい気持をバイキングの朝食にぶつけて、パンを全種類制覇する。隣に座った中東の方々目をむき僕のくいっぷりに感嘆もしくは呆然のまなざし。気にしないでね。
この某ホテル自由に使えるパソコンを一つ置いていたので、ハーモニーに潜伏して、戯言なひとり言(日本語が変)を書きこむ。
今日は、京都で友達のK君と会う約束。
京都市から離れること、電車で約40分くらい。京都も観光地を離れると、ものすごい長閑な畑が広がる田舎であることを発見。まあ、当然っちゃ当然か。。。
彼ったら、僕とは少しく異なった障害を抱えながらも健気に頑張るお人。でも、実際に合うのははじめてなので、チョットばかし心配していたわけであったのだが、車で駅まで迎えにきた彼は、清清しくも満面の笑みをたたえ、緊張の面持ちもなく、そしてまたカッコ良く、その外貌からだけでは、障害を煩い苦しんでいるとはとてもとても思えないのであって、それは、意外ではあったが非常に喜ばしい意外事であり、車の中で会話を取り交わす限りにおいても、彼は、とても礼儀正しく、僕は今まで彼に多少なりとも抱いていた懐疑の念を恥じ、彼の純粋さに心いったのである。そう、彼は純粋すぎるくらいに純粋であった。思えば、純粋であるがゆえに、障害を煩ったともいえるのである。
K君との遊び、というか、交流は、お互いに趣味が合うというわけでもないのでK君の行きたいところに連れていってもらった。ボクシングジム、ゲーセン、彼の通う大学。ちょうど、K君の住んでいるところが奈良と京都の境目あたりにあるらしく、今京都、今は奈良、といった具合に何回かいったり来たりした。
久しぶりにしこたま歩いた。僕は非常に息切れし、確かに自分が半年前よりも太っていることを実感せずにいられなかった。あらためて、運動をしなければと心に誓う。
こうして、K君との交流は無事にすんだ。K君なら、いつか障害を克服できる。そういった核心が僕の心の内に芽生えた有意義な時間だった。もし僕が京都に住むことになれば、彼と再び再会し、今度は継続的な交流が開始されることだろう。彼の障害の回復は、もう既に僕の目標にもなってしまっているのだ。少なくとも現時点では、共に歩む覚悟はできているつもりだ。僕の現在の比較的余裕のある心理状態での覚悟にすぎないが、僕はそれを信じたい。彼が僕を必要としてくれている限りは、彼は僕の人生の間接的な人物ではありえない。直接的に、僕の人生を構成する有機体の一部なのである。そして、僕も彼の人生において、同様であるはずだ。それが、友と呼びうる関係なのだと僕は考えている。
さて、帰途に着く前に、友達のG君に、この前くれたMDのお返しに、お土産を購入。
大分に到着したのは、午後の10時半だった。
マンションに帰ると、晩飯は用意されておらず、寂しくぽつねんとラーメンをちゅるちゅるしてベットにゴロンした。
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