ISBN:4003253140 文庫 豊島 与志雄 岩波書店 1964/01 ¥840
1832年6月5日、パリの共和主義者は蜂起した。激しい市街戦が展開する。バリケードにたてこもった人々の中にはマリユスとジャン・ヴァルジャン、そして今やスパイとして捕われたジャヴェルの姿があった。物語はいよいよ大詰にむかって進展する。
ようやく読み終わった。
まずは、今まで通り、共感したのもしなかったのも含めて、僕が何かしらの感慨を受けた言葉たちをあげておく。感想はその後に。

「一個の人間は一団の民衆よりもさらに大なる深さを有している」

「人の魂は、あらゆる幻を汲みつくした後でなければ、容易に絶望に屈しないものである」

「内心の崩壊というべきものが世にはある。絶望的な明白な事実が人の内部に侵入し来る時には、常にその人の本質とも言える深い要素をも、分離し破らないではおかない。そういう深い悲しみは、本心のあらゆる軍勢を潰走させる。それこそ致命的な危機である。この危機から平然と脱して、義務のうちにしかと足を踏みしめ得る者は、世にあまりない。苦悶の限度を超える時には、もっとも確固たる徳操も乱されるものである」

「人の落ち着きも立像のような冷酷さに達する時には、恐怖すべきありさまを呈する」

「公徳のための殺害の場合でも、もしありとすれば救済のための殺害の場合でも、ひとりの者を仆したという悔恨の念は、人類に奉仕したという喜びの情より深いものだ」

「私的な動機からして一般的責務を犠牲にし、しかもその私的な動機のうちにも、同じく一般的なまたおそらく更に優れた何かを感ずること、自分一個の本心に忠実なるため社会に裏切ること」

「人の宿命には不可能の上の垂直にそびえてる絶壁があるもので、それから向こうは人生はもはや深淵にすぎなくなる」

「私がほとんど迫害するまでに追求したあの囚徒は、あの絶望の男は、私を足の下に踏まえ、復讐することができ、しかも怨恨のためと身の安全のために復讐するのが至当でありながら、私の生命を助け、私を赦したが、それはいったいなぜであったか。私的な義務というか。否。義務以上の何かである。・・・・それでは果たして、義務以上の何かがあるのであろうか?」

「物質の服従には、摩損するがために一定の限度がある。しかるに、精神の服従には限度がないのであろうか。永久の運動が不可能であるとするのに、それでも永久の献身が求め得らるるのであろうか」

「彼女のためである間は嘘もつきました。しかし今は私のためである以上、嘘をついてはいけないのです」

「人は幸福でありたいと欲するならば、決して義務ということを了解してはいけません。なぜなら、一度義務を了解すると、義務は一歩も曲げないからです。あたかも了解したために罰を受けるがようにも見えます。しかし実はそうではありません。かえって報われるものです。なぜなら、義務は人を地獄の中につき入れますが、そこで人は自分のそばに神を感ずるからです。人は自分の内臓を引き裂くと、自分自身に対して心を安んじ得るものです」

「幸福であるのは恐るべきことである。いかに人はそれに満足し、いかにそれを持って足れりとしていることか!人生の誤れる目的たる幸福を所有して、真の目的たる義務を、いかに人は忘れていることか!」

「死ぬのは何でもないことだ。生きられないのは恐ろしいことだ」


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【感想】
涙が止まらなかった。一つの小説でこれほど心揺さぶられたのはいつ以来だろう。
6ヵ月間。約半年をかけて、少しづつ読み進めたこの作品は、じわじわと僕の体を侵食し、やがて血肉となった。感想などは、今までにあげた小説中の言葉がすべて物語ってくれている。歴史上、稀なる至宝という言葉を冠したとて、異論を唱える者がいるだろうが?
人間の一生を変えるかもしれない可能性を有する作品が世にあるとすれば、筆頭に上げられるべき作品である。
この小説を読んで、果たして、自己の人生観において何らの影響を与えられぬ者がいるだろうか。僕はそんな人間はそう多くいるものではないと確信している。
ジャン・ヴァルジャンの生き様から、我々は否応無しに、己のありよう、この世の価値への問いをつきつけられ、自己の良心は猛烈に揺さぶられる事となろう。
そして僕は、僕を捕らえて話さぬ一つの言葉に出会った。それは今なお僕を苦しめている善悪、モラルに対する固執に、明快な解答を示してくれた。すでにあげたが、今一度、ここに記す。

「人は幸福でありたいと欲するならば、決して義務ということを了解してはいけません。なぜなら、一度義務を了解すると、義務は一歩も曲げないからです。あたかも了解したために罰を受けるがようにも見えます。しかし実はそうではありません。かえって報われるものです。なぜなら、義務は人を地獄の中につき入れますが、そこで人は自分のそばに神を感ずるからです。人は自分の内臓を引き裂くと、自分自身に対して心を安んじ得るものです」

それにより苦しむとしても、やはり僕はこれを覆す言葉に出会わない限り、いつまでも、固執し続けるのだろう。それが善いことなのか悪いことなのかはわからないが。。。

生涯一度は読んでおくべき名著である。おそらく多くの読者は読後、人生に対する姿勢を変ずることになるだろう。

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