その人は、大学講師になりたいといっていた。
その人は、人を大切にするといっていた。
その人は、どんなことでも学ぶことが大好きだといっていた。
僕は、その人のいうことを心の底から信じた。
そして、尊敬した。
その人の言葉が、その人の信念だと信じたから。
その人は、僕を友人としてみてくれていると思っていた。
だから、僕は心の底にある僕の闇の部分も、すべての本音を語った。
お互いに学びあい、人間性を高めあえる人だと思っていた。
しかし、次第に、その人の言葉と、行動に、矛盾を見出すことになる。
彼の他の人を見下すものの見かたや、行動に。
その内に、僕は、その人の行動の矛盾を看過することができなくなり、彼にその矛盾について正直に聞いてみた。
彼は一言、「価値観が違う」といった。
その言葉に僕は信じられなかった。いや、信じたくなかった。
彼の信念から、そのような言葉が出てくるということが。。。
だか僕は、心底尊敬していた人だったからこそ、それでも信じ続けた。
しかし、その人は、僕がその矛盾をついてから以降、僕を避け出した。
僕は最初半信半疑だった。あの人が、そんなことをするはずないじゃないか。彼は、僕が話しかけると、笑顔で言葉を返してくる。
しかし、国家公務員試験の当日、僕はその人の正体を確信した。
僕とその人は、同じ会場だった。
僕は先に試験の会場にいた。その人がきた。僕の横を通った。
あたかも、僕に気付いていないかのように。
僕の疑問はこの時ほぼ確信に変わっていた。
だが思いなおす。
本当に気付かなかったのかもしれない。。。
試験に身に入るはずもない僕は先に教室を出て、そして、庭で、昼食を取る。そこは会場から出る人なら絶対に目に付く場所なのだ。
僕を避けていないのなら、声をかけてくれるはずだ。
僕は最後の希望にかけた。
だが、僕が見たものは、わざわざ回り道をして僕を避け、僕に気付かないふりをするその人の姿だった。
ショックだった。
もう疑問を挟む余地がなかった。
彼が、いつもいっていた言葉は、信念ではなかった。自分を飾るための言葉でしかなかったのだ。
心底尊敬し、僕がすべての心を語った人は、僕に心を開いていてはくれなかった。
僕は、会場をすぐにも去りたかった。
しかし、僕はその人に背中を見せるようで嫌だった。そんなこと、僕はどうってことないんだと自分に言い聞かせたかったのかもしれない。
でも、だめだった。
また、人が信じられなくなる。。
帰途、僕は、その人に、以下のような4通に分けたメールを送った。

『僕がどんなにあなたを尊敬し、学ぼうとしても、あなたが僕から学ぼうとしてくれなければ、単なる迷惑ですよね。今日のあなたの行動が、あなたにとって、人を大切にするという行為なのなら、僕は何もいいません。あなたは、僕がどんなに心を開いても、僕に一度も心を開いてはくれませんでしたね。僕が話しかけない限り、話さないのであれば、それは友情ではなく、社交辞令です。あなたは、自分の言動と行動の矛盾について、疑問を持ったことはないのですか?それが矛盾でなく一貫性があるというのなら、その正当性への説明責任があなたにはあります。僕は、あなたが、何事にも学ぶ姿勢を持ち、将来は大学の講師になる。そして人を大切にすると、常々言っていたから、僕は、障害のことも話したのです。僕の考えを述べたのです。あなたが、最初から、思想なんて嫌いだ。議論なんてしたくもない。そういってくれていたら、僕はあなたにそんなことを話すことはなかった。今日もし、あの会場にいたのが、僕ではなくて、M君だったのなら、きっとあなたは話しかけたんでしょうね。その事もまた、価値観が違う、というのでしょうか。以前あなたが、「ほたるの墓」を「暗い」の一言でかたずけてしまったのは、一般論ではなくて、あなたの意見だったのですね。僕は知っての通り、障害者です。片輪者です。もう人を信じることはやめます。僕だって傷つきたくありませんから。健常者は、健常者としての幸せを追っていってください。僕が、貸した障害の本は、差し上げます。さようなら』

思い出せる限りで、当時書いたそのままの正直な文章だ。混乱や、ショックの為に、今みると、自虐的、被害妄想的なところもあって情けないが、それもまた事実なので、そのまま書いた。

そして、彼から、次のようなメールがきた。

『今日取った行動について、言い訳はしません。悪かったと思っています。おそらく、M君なら話したでしょう。そして、それ以外の人なら、話しかけなかったでしょう。私は外では人と話しません。自分が薄っぺらな人間であることがばれるのが恐いから。私は薄っぺらな人間です。今日のことも、あなたにいわれなければ、あなたをそんなに傷つけたことすらも気付かなかったと思います。私はそんな人間なのです。私は、周りのみんなに嫉妬しながら生きています。そして、それがばれないかと気にしながら、こそこそと生きているのです。わたしは、おそらく・・・』

メールは、文字数の都合か、途中で切れていた。。。

人は、どうして、自分を偽るのだろう?
僕は、自分の信念だけは正直でありたい。
自分を虚飾で固めることは、それがはがれたときに、誰かを傷つけ、そして、自分も傷つく。
そのままの自分で何がいけない?
あの人も、自分が薄っぺらだと思うのなら、言葉で虚飾するだけではなく、言葉が虚飾にならないように努力すればいいだけの話だ。努力する気がないのなら、始めから、そんなこといわなければいい。だからといって、僕はその人を軽蔑したりしない。自分に正直である限り、自分をだましている人間よりも尊敬に値する。

この一件以来、僕は再び人間不信に陥り、鬱になっていった。
しかし、僕は這いあがった。僕を底からはいださせてくれたのは、強迫性障害サークルとの出逢い、そして、少なからずの友人。そう、人間との交流なのである。

今、僕は人を信じる。あのようなことが再び起こっても、人を信じ続ける。そう決めた。
今の僕なら、あのメールの後、関係を切らずに、話し合っただろうか?
理性では。。。イエス。
しかし、本当のところ、できるかどうかはその場になってみないとわからない。

だって、僕も人間だもの。。。

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