朝日よりも、夕日が好きな子供だった。
小学校のころ、うすぐれないの色に染まった空の下、下校の音楽と、そして、野球クラブの時折起こる喚声、からすの鳴き声。
その中を、とぼとぼと家路をたどる。

何かがはかなくも消えていきそうな、そんな悲しさがあった。
だけど、僕は、その悲しさを、さびしさを、子供心に美しいと思った。
心の奥がほんのり暖かくなるのを感じた。
その日起こったどんなことも、どんな喜びも、悲しみも、すべてを包み込み、溶かしてしまう、やさしさを感じた。
それは、朝の溌剌さにはないやさしさを持っていた。
すべての傷ついたものをつつむ包容力。
夕空は、僕にとって、たまらなく魅力的な風景を作り出してくれた。
空もまた、傷ついているんだ。
傷ついた僕の心には、溌剌とした朝の顔よりも、疲れを帯びた夕顔のほうが、親しみやすかった。

この年になって過去をよく振り返る。
そんな時、決まって、あらわれる風景は薄紅だ。
そうか、あの時、僕は、過去を眺めていたんだ。
過去への惜別は、同時に思い出を作り出す。
思い出は、記憶の残像でのみ邂逅できる。
だから過去は、儚く、寂しい。

過去は暖かく、やさしい。
まるで、あの夕焼けのようだ。
傷ついた心も、喜びも、悲しみも、過去は、あの夕焼けのように、溶かして、包み込んでくれる。
おぼろげな記憶にかえて、悲しみも、親しみやすいものにしてくれる。
悲しみも、薄紅の夕焼けに混じっていく。

過去を振り返ると僕は、夕暮れに佇むあの時の僕になる。

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