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人々が電脳化された近未来。少女型の愛玩用ロボットが暴走し、人間を殺傷するという事件が頻発する。それを捜査する公安9課の刑事バトーは、自らの脳にハッキングを受けるという妨害を受けながらも、真実に近づいて行く…。1995年に公開された『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』の直接的な続編であり、押井守監督のアニメ作品としても9年ぶりとなる、全世界待望の1作だ。前作の主人公、草薙素子ももちろん“登場”する。
美麗なCGで彩られる画面の情報量も、サスペンス調の本筋を時に逸脱して語られる“禅問答”の量も、前作を遥かに凌駕。躊躇なく難解な一方で、バトーという寡黙なサイボーグに感情移入しやすい味付けがなされているのが今作のミソだ。そうして描かれる“未来”は、機械とネットに支配されながらもこの上なくウェット。それこそが、前作が提示した“人間とは、魂とは何か”という問いへの渾身の回答なのだろう。
高校時代に、WOWOWで、『パトレイバー 劇場番』の1と2をみて以来、僕は押井守という監督に魅了されている。
なぜこんなにも、彼の作品が好きなのだろう。
大学に入り、映画を卓さん見るようになると、僕の好む映画群のなかに、多くの押井的な雰囲気、いや、押井の作品が、それらの作品の系譜に連なっているということを発見した。
彼の作品の本質は、古典たりうるものである。彼の作品は、そこに過去の巨匠といわれた2人の監督の作品を連想させる。
その政治的な意味合いにおいて、アンジェイ・ワイダ。
その詩的な、哲学的な意味合いにおいて、アンドレイ・タルコフスキー。
そもそも、彼がアニメという分野に現れたこと自体が、運命の悪戯であり、アニメ界にとっては僥倖である。
彼の作品は、一つの限定された人々に提供されるだけの娯楽作品を、アカデミックな研究対象、そして一つの芸術という分野にまで、広げることに成功した。彼の作品のおかげで、人々はアニメの表現方法が、実写的な要素もありうることに気付かされた。そしてまた、世界的な日本製アニメの地位向上にも多大な貢献をはたした。
彼はもともと映画青年であり、アニメに特化した嗜好を持っているわけではなく、むしろアニメに興味すら持っていなかった。そんな彼がひょんなとこから、アニメに携わることになり、監督をするに至った。
彼は、アニメ嫌いのアニメ監督なのである。だから、僕は監督が実写の世界でも、充分に巨匠になり得たと考えている。
彼は実写でやりたかったことを、そのままアニメに投影したのだ。ゆえに彼の作品は実写とアニメの融合がなされた、稀な作品となる。それを作家性と呼んでもよいのかもしれない。
そしてその姿勢には、否定的な見かたをするものも少なくないが、僕は、全肯定する。アニメだから、アニメでなければならないいわれはない。アニメが、実写であってもいいのである。彼の言葉を借りれば、「すべての映画は、アニメになる」
表現する媒体が、アニメであろうが、実写であろうが、そんな事はどうでもよいと彼は考えているのだろう、それが「映画」であればよいのである。だから、アニメと、実写は融合しうるし、その間に境界線を設けることは無意味なのである。と。

さて、今回の作品、僕はとても楽しみにしていたが、期待にたがわず、それは押井の映画だった。押井の作品にも、もちろんスジはあり、それを理解する楽しみももちろんあるのだが、僕は、むしろ、押井の映画に関しては、筋よりも、その映画そのものが意味するもの、を感じることが重要なのではと思っている。
その意味するもの。を説明するのは難しい、そして、人それぞれ違うものだと思っている。つまり、感性なんだと思う。
つまり、僕にとっての、押井のしめす「意味」は、「感性」は、たまらなく魅惑的なのである。
今回の作品は、押井の今までの作品の、集大成といっても過言でないと、僕は思っている。 

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