悲しい知らせを聞いた。

その悲しさは、どんなにがんばっても、どうにもならないことがあるという、現実への悲しさ。そして、悔しさ。

どうして、こんなにもがんばっている人が。どうして、もっとも救われなければならない人が、どうして、もっとも苦しむのか。

これが現実だというのか。

それが現実だというのなら、僕は現実に対して、反旗を掲げ、抵抗しよう。

苦悩が、人間を不幸に貶めるだけなら、なぜ、人は悩むのか。

僕達は、その先に光りがあることを知っているから、苦悩するのではないのか?

僕は、先に、光があることを、信じる。

希望という光りがあることを。

たとえ、その光りが肉眼には見えずとも、心に描いた光は、何があっても消さないでおこう。

そして、人生という険しい道程で、力尽き倒れそうになれば、後ろからくる誰かに助けてもらおう。

もし、前に力尽きようとする者いれば、できる限り、その手を取って、一緒に歩んであげよう。

その過程で、僕は苦悩という迷路に挑戦する。

何度挫折するだろうか?何度、現実という障害物に突き当たるだろうか?

だが、僕はたとえ、何度、障害物に突き当たろうとも、自分を必要以上に責めないでおこう。

だって、自分の選んだ道が、間違ってるかどうかなんて、障害物に突き当たってからでないとわからないことだから。

それは、僕の責任ではないから。

僕はただ、次も、その次も、希望を探しに、苦悩の迷路に入る。そのことを、続けるだけ。

だがそれが、現実への理想の反逆なのだ。

理想が現実となるべき、わずかな可能性は、出口にある希望という光りなのである。

だから、僕は現在の現実に、宣戦布告する。

救われるべき者が、ほんとに救われる現実を理想に描いて。

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