過去を切り離して考えなくとも、もう会うことがない人物なら、傷は消えなくも、薄まっていく。僕は、過去を背負ったまま、人間をある程度まで信じられるようになった、がしかし、その過去を形作った人物たちと、会うことができるようになったというほどの自信は僕にはなかった。理屈では、すでに彼らに対する恨みはない。僕は、彼らが人の気持を理解できる(あるいはそうであろうと努力する)人間へと成長をはたし、僕のような経験をする人が出る前に気づくことができるようになっているのであれば、それでよいと思っている。そう、理屈では。
問題は理屈という理性に感情がしたがってくれるかどうかである。自分が再び彼らに会った時、どのような行動をとれるのか、さっぱり予測がつかなかったのだ。
大学を卒業し、大分に戻り公務員学校に通い出した僕は、まだ、どこか偶然にも彼らに会ってしまうことへの不安に恐々としてしまっていた。そして、やはり、自分から会う気は毛頭起きなかった。
ただ、自分の中の変化として、起こった確信によるある決断、過去への清算ができているかどうか。そのことは、彼らに会ってみないと判断し得ない。そのことだけはわかっていた。過去の憎悪、理屈ではない、潜在的な憎悪を上回る理解、それができてこそ、初めて僕はほんとの意味で彼らとの過去を清算できたといえるのである。
今年、1月2日に、テニス部の新年会があった。僕にも電話がかかってきた。もちろんそこには、僕の障害を真似していた奴もくる。僕はそれまで電話がきても出なかったし、関係も絶っていた。しかし、今回は参加することにした。自分の過去にどこまで立ちむかえるか、彼らに会っても、自然に笑みが出せるかもしれないじゃないか。そういった仄かな期待と、自分の感情との葛藤が当然起こるであろうことへの、不安を抱きながら。
待ち合わせ場所につく、久しぶりに見る顔があった。まだ、真似をしていた奴はやってきていない。しかし、僕はその時に、僕の潜在的な憎悪をがいかに強固であるかを思い知った。笑うこと、いや、表情を作ることすらできない自分がそこにいた。笑おうと思っても笑えない。彼らは、傍らで再会を祝し談笑していた。僕は1人ぽつんと座り、心の奥から湧き上がる、顕在化してくる憎悪の言葉と戦う。そのとき僕の心は、完全に憎悪に負けていた。他になんの感情を挟む余地も、また、他の何事も考えられなかった。ただ、彼らに対する恨み節が、心のうちで繰り返されるのみであった。彼らは最初、僕にも話しかけてきたが、話しを返さない僕にやがて彼らは話さなくなった。そのことも、さらに憎悪を増加せしめた。「やはり、やつらは僕の気持ちなど、わかっちゃいない。いや、人の気持などわかるようになっちゃいなかったんだ。誰も僕に気遣うこともなく、原因もきかず、意に返さず談笑してやがる」。今思えば、子供じみた、そんな憎悪の言葉も、平静を失っていた僕には、もっともらしく思えたのだった。
そして僕は頭を抱える、こんな状況になる場合も予測はついていた、それでも最後まで、会が終わるまで我慢できると思っていた。だが、それができるはずもないことに、その時はもう気づいていた。
葛藤は、一方を粉砕した、理性をである。憎悪を抱きつつも、僕はまだ彼らとであった頃のように戻れる可能性に期待し執着していたのあのであるが、もう、どうでもよかった。今後会うこともないだろうと腹を決め、僕は爆発した。ただ出ていくのではなく、置き土産として僕は大演説をぶったのだ。
激情が言葉となってほとばしる。まだ現れていない、その仲間に障害の真似をされたこと、誰に相談しても耳を貸してもくれなかったこと。人間不信に陥ったこと、大学で幻聴を聞いたこと。そんなことをすべて話した。
「高校の終わりごろ、お前等は俺の変化に気づいてたのに、誰ひとり、気にかける奴もいなかった、俺が相談しても、最後まで聞く奴もいなかった。それが友達か?俺がこうなった一端に、お前等のなかで自分にも責任があるかもと、誰か1人でも考えたのかよ!!自分の楽しいことだけにしか目をやらずに、そんな奴らが、こんな時だけ友達面して、俺がどうして、お前等の前で笑えるものか!こんな人間しかいないと思うと、もう絶望だ、反吐が出る。俺はお前等のような人間にだけはなるものか!」・・・それは、憎悪の叫びというよりは、人間への歯痒さへの、悲痛な哀訴であった。
はたしてその大演説は、どのような結果を出来させたのか。僕は、その場を去らなかったのである。彼らは、僕の叫びにより、始めて、僕の現状、そして苦悩を知りえたのだという。それが予定されていたものかどうかは知る由もないが、僕の関係を絶っても良いと覚悟した破れかぶれの爆発が、彼らとの関係を繋ぎ止めたのだ。彼らは芯から過去をわびてくれた。そして飲み会での当初の態度にも。それから、僕は強引に引き止められ、語り合ったのだ。
「お前には、過去のことを忘れてくれとは言わん。だが、お前との関係は、これからだと思ってる。今からが、もう一度お前との友情を築いていくスタートラインだ。これからの俺らを見てほしい」
彼らの言である。
然るに、僕は1つの過ちを犯していた。それは、僕が成長したように、彼らもまた、成長しているということである。僕は依然として彼らを高校の頃と同じ目で見ていた。だが、彼らはすでに、僕の相談を最後まで聞くことのできる、現在の彼らなのだ。ならば、現在の彼らに思いをぶつけることもなく過去同様話しを聞けない存在として彼らを見ていた僕の態度こそ恥ずべきものなのだろう。最後の爆発、やけっぱちでやったその行為は、実はやけっぱちではなく、まさに関係を清算するに必要な、正当な行為であったわけだ。過去の憎悪は過去の彼らに対する憎悪なのなら、完全な払拭も不可能ではないかもしれない。その可能性の目を摘むことにならなくて、良かった。
さて、現在の僕はというと、やはり、あの飲み会の後、まだ彼らとの関係が、過去が、清算できたのという確信は、持てないでいる。再び飲み会があれば出席するつもりだが、はたして、また笑えないかもしれない。しかしながら、次回は、みんなと話し合うことができる。そしてみんなも聞いてくれる。彼らとの関係は、今、新たにスタートを切ったわけだ。僕たちがやるべきこと。まずは、彼らは過去を忘れず、教訓とする。僕は過去の事実は消せなくとも、過去の彼らに対する憎悪は、忘れるように務めていく。
なお、僕の障害を真似していたその友人(と、もう呼ぼう)は、送れて飲み会にきたのだが。彼は、過去の行為を罪に感じ、今生き苦しんでいるという。僕は彼から、その言葉を聞き、彼もまた弱い人間であったのだと、憎しみの氷解していく音を聞いた。彼は、現在、医者を目指している。願わくば、僕に行った行為を戒めに、今度は誰よりも、患者の気持を思いやる医者になって欲しい。彼ならなってくれるはずだ。
あの過去を、彼らは忘れず、僕は忘れるように。いつか、本当に清算できる、その日がくることを信じて。
終
問題は理屈という理性に感情がしたがってくれるかどうかである。自分が再び彼らに会った時、どのような行動をとれるのか、さっぱり予測がつかなかったのだ。
大学を卒業し、大分に戻り公務員学校に通い出した僕は、まだ、どこか偶然にも彼らに会ってしまうことへの不安に恐々としてしまっていた。そして、やはり、自分から会う気は毛頭起きなかった。
ただ、自分の中の変化として、起こった確信によるある決断、過去への清算ができているかどうか。そのことは、彼らに会ってみないと判断し得ない。そのことだけはわかっていた。過去の憎悪、理屈ではない、潜在的な憎悪を上回る理解、それができてこそ、初めて僕はほんとの意味で彼らとの過去を清算できたといえるのである。
今年、1月2日に、テニス部の新年会があった。僕にも電話がかかってきた。もちろんそこには、僕の障害を真似していた奴もくる。僕はそれまで電話がきても出なかったし、関係も絶っていた。しかし、今回は参加することにした。自分の過去にどこまで立ちむかえるか、彼らに会っても、自然に笑みが出せるかもしれないじゃないか。そういった仄かな期待と、自分の感情との葛藤が当然起こるであろうことへの、不安を抱きながら。
待ち合わせ場所につく、久しぶりに見る顔があった。まだ、真似をしていた奴はやってきていない。しかし、僕はその時に、僕の潜在的な憎悪をがいかに強固であるかを思い知った。笑うこと、いや、表情を作ることすらできない自分がそこにいた。笑おうと思っても笑えない。彼らは、傍らで再会を祝し談笑していた。僕は1人ぽつんと座り、心の奥から湧き上がる、顕在化してくる憎悪の言葉と戦う。そのとき僕の心は、完全に憎悪に負けていた。他になんの感情を挟む余地も、また、他の何事も考えられなかった。ただ、彼らに対する恨み節が、心のうちで繰り返されるのみであった。彼らは最初、僕にも話しかけてきたが、話しを返さない僕にやがて彼らは話さなくなった。そのことも、さらに憎悪を増加せしめた。「やはり、やつらは僕の気持ちなど、わかっちゃいない。いや、人の気持などわかるようになっちゃいなかったんだ。誰も僕に気遣うこともなく、原因もきかず、意に返さず談笑してやがる」。今思えば、子供じみた、そんな憎悪の言葉も、平静を失っていた僕には、もっともらしく思えたのだった。
そして僕は頭を抱える、こんな状況になる場合も予測はついていた、それでも最後まで、会が終わるまで我慢できると思っていた。だが、それができるはずもないことに、その時はもう気づいていた。
葛藤は、一方を粉砕した、理性をである。憎悪を抱きつつも、僕はまだ彼らとであった頃のように戻れる可能性に期待し執着していたのあのであるが、もう、どうでもよかった。今後会うこともないだろうと腹を決め、僕は爆発した。ただ出ていくのではなく、置き土産として僕は大演説をぶったのだ。
激情が言葉となってほとばしる。まだ現れていない、その仲間に障害の真似をされたこと、誰に相談しても耳を貸してもくれなかったこと。人間不信に陥ったこと、大学で幻聴を聞いたこと。そんなことをすべて話した。
「高校の終わりごろ、お前等は俺の変化に気づいてたのに、誰ひとり、気にかける奴もいなかった、俺が相談しても、最後まで聞く奴もいなかった。それが友達か?俺がこうなった一端に、お前等のなかで自分にも責任があるかもと、誰か1人でも考えたのかよ!!自分の楽しいことだけにしか目をやらずに、そんな奴らが、こんな時だけ友達面して、俺がどうして、お前等の前で笑えるものか!こんな人間しかいないと思うと、もう絶望だ、反吐が出る。俺はお前等のような人間にだけはなるものか!」・・・それは、憎悪の叫びというよりは、人間への歯痒さへの、悲痛な哀訴であった。
はたしてその大演説は、どのような結果を出来させたのか。僕は、その場を去らなかったのである。彼らは、僕の叫びにより、始めて、僕の現状、そして苦悩を知りえたのだという。それが予定されていたものかどうかは知る由もないが、僕の関係を絶っても良いと覚悟した破れかぶれの爆発が、彼らとの関係を繋ぎ止めたのだ。彼らは芯から過去をわびてくれた。そして飲み会での当初の態度にも。それから、僕は強引に引き止められ、語り合ったのだ。
「お前には、過去のことを忘れてくれとは言わん。だが、お前との関係は、これからだと思ってる。今からが、もう一度お前との友情を築いていくスタートラインだ。これからの俺らを見てほしい」
彼らの言である。
然るに、僕は1つの過ちを犯していた。それは、僕が成長したように、彼らもまた、成長しているということである。僕は依然として彼らを高校の頃と同じ目で見ていた。だが、彼らはすでに、僕の相談を最後まで聞くことのできる、現在の彼らなのだ。ならば、現在の彼らに思いをぶつけることもなく過去同様話しを聞けない存在として彼らを見ていた僕の態度こそ恥ずべきものなのだろう。最後の爆発、やけっぱちでやったその行為は、実はやけっぱちではなく、まさに関係を清算するに必要な、正当な行為であったわけだ。過去の憎悪は過去の彼らに対する憎悪なのなら、完全な払拭も不可能ではないかもしれない。その可能性の目を摘むことにならなくて、良かった。
さて、現在の僕はというと、やはり、あの飲み会の後、まだ彼らとの関係が、過去が、清算できたのという確信は、持てないでいる。再び飲み会があれば出席するつもりだが、はたして、また笑えないかもしれない。しかしながら、次回は、みんなと話し合うことができる。そしてみんなも聞いてくれる。彼らとの関係は、今、新たにスタートを切ったわけだ。僕たちがやるべきこと。まずは、彼らは過去を忘れず、教訓とする。僕は過去の事実は消せなくとも、過去の彼らに対する憎悪は、忘れるように務めていく。
なお、僕の障害を真似していたその友人(と、もう呼ぼう)は、送れて飲み会にきたのだが。彼は、過去の行為を罪に感じ、今生き苦しんでいるという。僕は彼から、その言葉を聞き、彼もまた弱い人間であったのだと、憎しみの氷解していく音を聞いた。彼は、現在、医者を目指している。願わくば、僕に行った行為を戒めに、今度は誰よりも、患者の気持を思いやる医者になって欲しい。彼ならなってくれるはずだ。
あの過去を、彼らは忘れず、僕は忘れるように。いつか、本当に清算できる、その日がくることを信じて。
終
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