僕は、高校時代に強迫の真似をされたのだが、僕自身が自分の障害のことを詳しく知ったのは。実は高校を卒業してからだ。
つまり、小、中、高と、僕にまとわりつく奇妙な仕種は、すべてが単なる自分の癖であり、その責任は自己に帰する。これが、自他の認識であった。自分の責任であるからして、そこに負い目が生じ、真似されても、反駁に窮するであろうし、反駁したところで、彼等がソラとぼけることも予想がついた。迫害は常に巧妙であり、秘密裏にかつ大胆に行われる。また、違うクラスには、僕のそのような状況をしらぬ友人もまだ少なからずいた。僕は反駁することによりその友人らにまで自分の置かれている状況が知れるのを恐れ、そして、自分の矜持も、またそれを許さなかった。
しかるに、高校を卒業する頃にはさすがの僕も、これは単なる癖ではなかろうことはおぼろげにも察知せられ、しかしながら、まだその実態は混沌のままであった。
最初に訝るはその呪うべき「喉ならし」であった。常に喉をくんくん鳴らさねば(彼等はこの音をプシュプシュと表現していた。何たる狡知であることか!)息苦しく酸欠状態に陥ってしまいそうな恐怖に刈られることから、僕はこれが、喉、もしくは肺を病んでいることからくると考えた。
かかる経緯により、咽喉科で診察をうけることになる。しかしながらどこにも異状は見られず、その医師から、自律神経失調症の疑いと共に、九大病院の心療内科へ招待状を書いてもらうこととなった。
そして僕はこの九大病院ではじめて、自分が「強迫性障害」なる障害であることを知るに至る。
その障害の確定は僕にある種の開放と、慰安を与えた。自己を責められ、また責めてきたこの奇妙なる癖は、その責任を障害という名の上に転嫁した。
自分の所為ではなかった。一つの荷が背中から除かれるのを感じた。それはまさしくカタルシスであり、救済である。しかしながら、この救済は、また一方で新たな苦悩の、または悔恨の種をまいた。
すなわち悲哀のもとに運命であると甘受してきたその自分の過去が、更なる憎悪の肥大により、覆い被されることとなったのである。つまりは、自己の無知による怠惰、そして、人間の浅はかな無意識による罪、その救いがたさに対する憎悪である。
自分がもっと早くに、この障害を気づくか、もしくは知っていたなら、きっと変えられたであろう人生への悔恨。そして、そのことに気づかずに己を責め続けてきた自分への反発。そして、癖ではなく障害であるこの仕種に迫害を与える人間が、おそらくはその罪に自分では気づかないであろうことへの恐怖と絶望。
彼等は、この癖が障害であったことを知っていたなら真似をしたであろうか?僕は否だと考える。なぜなら、彼等は不遇の人生が避け得ない者に対しては涙するから。はたしてそこに偽善が生ずる。僕が障害でありやなしやが、彼等のやった行為に罪の増減をなさしめるのか?否である。彼等の罪の重さは変わらない。しかし、そのことに彼等は気づかない。そして、それは、無意識による大罪である。ときとして、多勢の無意識は1人の人間を死の淵に追い詰める。もしその者が命を落としたとして、その多勢は無意識をゆえにその罪を免じられるのか?否である。それが無意識であるが為に、多勢であるが為に感覚が麻痺し、罪の意識を持たざるは、それこそ人間が最も過てる大罪なのである。直接的であれ、間接的であれ、人の人生を変貌せしめ、もしくは死に追いやった罪は、何らかの形で罰せられなければならない。一生背負うべき罪を人は皆どこかで侵している。それを背負い人生を歩まなければならない。
人は、人がその無意識の罪に意識的となり、その罪を自覚するにいたり、その心のうちにはじめて贖罪の観念が生まれる。そしてそれこそが過去自分が傷つけてきた人々の救いとなり、償いとなりうる行動へと通ずるのである。
そのような苦悩にさいなまれるにしても、僕は一つの混沌を脱した。
広島から、福岡へ、月に2回の通院を僕は始めた。
しかしながら、僕はまだ障害に、人生に逃げていた。前に言ったとおり、それから2年間は享楽に傾斜し、そのうちに、僕の障害は肥大していったのである。

続く

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