不全感は爆発だ!!

不全感のルネサンスが到来。かなり辛い。

こういうとき、友達にメールを送りまくりたい気持と格闘する。

なんとならばこういったネガチブな気持のときのメールって相手の気持まで沈ませちゃうんじゃないかとか、それ以前に僕なんかのメール喜ぶ人なんかいるんかいな。自分のさびしさを受け入れて欲しいが為に人に迷惑をかけるなんて、なんて僕はだめだめなやつなんだ、あああう。いやいや、それ以前に僕は誰からも必要とされていないんじゃないか、僕の友情なんていくらでも代用できて、僕である必要はないんじゃないか。みんなお愛想で付き合ってくれてるんじゃないだろうか。すぐに切り捨てられてしまうんじゃないか?否否、それ以前に僕はこの世に生きていていいのだろうか、あぐあぐあぐ。

てな具合にどんどん度つぼにはまってしまう。心が脱水症状ならぬ、脱友情症状に陥ってしまって友情補給、いや、友情確認をしないと不安で不安で。
で、その僕の心を潤してくれるのって友達の暖かい態度や心や言葉に接するしかないんだけど、こういう精神状態では友達に連絡をとる事自体が僕なんかがやっちゃっていいのか、迷惑だろうなあ、そっけなくされたらどうしよう?とか相手の都合も考えずに自分本意な解釈をしがちな脳みそを、ふふん、と鼻であしらう余裕もなくなって、メールを送ろうか送るまいかでものすごい葛藤を生じ、ひとりベッドの上でのた打ちまわりなにも手につかなくなったりなんかしてしまう自分の弱さにあきれ果て。とほほ、我輩はほんとに情けない人間のくずだ。ってどこをどう転んで解釈しても自分はくずだという結論にいきついてしまうようになっちゃって、やっぱり友達にメールを打つしかないのだった。

そんな僕に友達はあたかかく接してくれて、ああ、やっぱり僕の心配は杞憂だった。よかったよかった。メール打つ前からわかってたはずの事なのに、やっぱり友達から直に言葉を聞くと聞かないとじゃ大違い。そういう面で、僕は日本の言わずに通じあう気持ってのに懐疑的で、やっぱり気持は言葉に表すべきで、僕も言葉に表していきたいと思うっていう欧米型に一票。まあ、理想は、ツーカーの仲なんだけどね。やっぱりそこまでの仲に行くまでには何度もの言葉による確信を経てきてるはずなんだと思うわけなんだよね。だって、ずっと一緒に過ごしてきた家族でさえ、僕はまだ完全に分かり合えてはいないと思うし、ともすれば愛情に疑問を持った時期だってあったんだから、友達間ばら、なおさら言葉って大事だと思う。

大学のときの友達がいった、
「言葉は言霊(ことだま)だから、一語一語の言葉の人に与える影響は計り知れない」
って言葉、それ自体が、僕に言葉というものへの接し方を決定付けたという計り知れない影響力を体現しているわけなんだよね。

といったわけで、僕に暖かい友情を注いでくれたその友達のおかげで、不全感のルネサンスはその短い歴史を閉じたのであった。そして僕は、ひとまず今日1日はすべてのことが手につくわけなのでありんす。

ありがとう。君という友達は君以外にはいない。1人1人が、1人1人で特別な友達なんだ。だから、僕は、君が必要だ。君の代りはいないんだ。

乾いた心にひと匙の友情を注いでくれた。そのお陰で、僕は今日(正確には昨日)を乗り越えられた。

この感謝は、僕の友情をもって返したい。

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