長崎園児殺害事件、遠因としてのアスペルガー症候群
2003年9月24日 僕の思ったこと長崎の園児誘拐殺人事件での、中学1年の男子生徒は精神鑑定の結果、アスペルガー症候群と診断された。しかし、事件との直接的関係は否定されている。
「アスペルガー症候群は一次障害で、これだけでは犯罪には結びつかない。『変わった子』として見られ、自己評価がゆがんだ結果、とんでもない行動を起こすなどの二次障害が生じることがある」。
この意見に異存はない。
しかし、早期に発見し、児童精神科医が関与して特殊教育を施せば、二次障害も防げるとする。というのはどうだろう?
個別的な教育を施せば、事前に防げることは確かだろう。しかし、そうするための早期の発見とは、まわりにアスペルガーを認知することができる者がいることを前提としてはじめて成り立ちうることである。
はたして、そのようなことが可能なのか?早期の発見に必要な社会的な改善の議論がすっぽりと抜け落ちている。
僕の考えでは、アスペルガーの知識を社会にあまねく広めるのはなかなか容易ではないように思う。
それよりも、アスペルガーをひとつの個性として受け入れる社会、アスペルガーに気づくものがいなくとも、『変わった子』として見られることがなく、自己評価のゆがむことのない社会に変革していくほうがまだ現実的に可能といえるのではないか。
そうするためには、個性の尊重により一層の重きを置く教育が望まれる。その点において、日本は海外欧米諸国よりも後進国といえる。改善の余地はまだまだあるのである。
ちなみに、僕がアスペルガー症候群かはまだ定かではないが、アスペルガー気質なのは確かである。
「アスペルガー症候群は一次障害で、これだけでは犯罪には結びつかない。『変わった子』として見られ、自己評価がゆがんだ結果、とんでもない行動を起こすなどの二次障害が生じることがある」。
この意見に異存はない。
しかし、早期に発見し、児童精神科医が関与して特殊教育を施せば、二次障害も防げるとする。というのはどうだろう?
個別的な教育を施せば、事前に防げることは確かだろう。しかし、そうするための早期の発見とは、まわりにアスペルガーを認知することができる者がいることを前提としてはじめて成り立ちうることである。
はたして、そのようなことが可能なのか?早期の発見に必要な社会的な改善の議論がすっぽりと抜け落ちている。
僕の考えでは、アスペルガーの知識を社会にあまねく広めるのはなかなか容易ではないように思う。
それよりも、アスペルガーをひとつの個性として受け入れる社会、アスペルガーに気づくものがいなくとも、『変わった子』として見られることがなく、自己評価のゆがむことのない社会に変革していくほうがまだ現実的に可能といえるのではないか。
そうするためには、個性の尊重により一層の重きを置く教育が望まれる。その点において、日本は海外欧米諸国よりも後進国といえる。改善の余地はまだまだあるのである。
ちなみに、僕がアスペルガー症候群かはまだ定かではないが、アスペルガー気質なのは確かである。
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