突き放す勇気 (6)
2007年1月28日 連載 コメント (4)僕は自助サークルのメンバーからメールをもらいました。
その人をLさんと呼びます。
Lさんからのメールは、ある人とメールを始めたけど、その人の相談に乗ってあげたいけど自分ではどうしていいのかわからないのでアドバイスをくださいというものでした。
そして、その人とのやりとりはサークルの掲示板に書かれているので読んでくれとのことだったので、仕事で忙しく全く見れていなかった掲示板を久々に見てみました。
そして僕は自分の思うことをLさんに伝えました。
その日から、Lさんとのメールのやりとりが始まりました。
僕がLさんとメールをやり始めた当初は、掲示板は平和でした。
ですが、しばらくして、Lさんの書き込みに、過去のK君を思わせるような表現が沢山見られるようになっていったのです。掲示板は荒れていきました。
僕はLさんは、K君ではないかという疑念がわきました。
Lさんはとても言葉遣いが丁寧でしたし、K君よりもメールの内容が思慮深く感じられたので、最初は疑念でしかありませんでしたが、掲示板が荒れていく様を見るにつけ、僕はLさんがK君であると確信しました。
ですが、僕はLさんにそのことはいいませんでした。
LさんにはLさんとして接することにしました。
僕は、Lさんの掲示板での発言について厳しく注意しました。以前のK君なら、そのことに腹を立て、さらに荒れるのですが、Lさんは素直にそのことを受け入れ、掲示板に謝罪文を書きました。僕はそのことに驚きました。
この一件のあと、Lさんが「自分はコミュケーション力がないので、今後掲示板の書き込みや、人生のことについて、継続して相談に乗ってもらえないか?」という提案を受けたとき、僕は過去の依存体制にならないように、制約を設けました。メールは、1日1〜2通に制限し、僕は忙しいのでなかなか返せないけど、気長に待ってくれること、等です。
つまり、僕はK君(Lさん)と再びメールをすることになったのです。なぜ、K君(Lさん)と再びメールすることにしたのか。それは、K君(Lさん)に明らかな努力が認められたからです。
その努力の部分とは、自分のミスや、落ち度を認め、謝罪できること、です。
Lさんの言動や、行動自体は、あまり以前のK君と変わりありません。変わっている部分といえば、K君の頃よりも言葉遣いが丁寧になっている、ということくらいです。
ですから、掲示板は、その後も何度となく荒れ、その度に、僕はLさんにメールを送り不適切な部分を指摘する。という作業が繰り返されました。
さて、そして現在に至ります。
メールのやりとりは、未だ続いています。今後、以前のようなことにならなければ、メールのやりとりが途絶えることはないと思います。
Lさんは結局、自分からK君であることを言ってきました。
しかし、あの頃の自分と決別するために、Lさんとして接してくれることを彼は望みました。
僕は、Lさんのこれからに、以前のような絶望感は感じていません。なぜなら、今の彼とのメールには、自己と対峙し苦悩する様が書かれているからです。
彼はもう自分から逃げてはいないのです。
たとえ、依然と同じ過ちを繰り返していても、そこから脱却できる日は来る。。彼が努力し続ける限りはいつか絶対に。
ある日、Lさんからこんなメールが届きました。
「僕は昔とちっとも変わっていないのでしょうか?変わろうと努力してきたつもりだったのに。今では家でも何も壊さずに我慢して、親の手伝いもして大人になろうと自分に誓ってきたのに」
それに対して、僕はこう返信しました。
「人間はすぐに変われるものではありません。まだ努力しはじめて間もないじゃないですか。人間が変わるのには、数年、数十年かかることもあります。ただ努力し続けていれば少しづつ変わっていけるはずです。
今、Lさんが確実に変わったと言い切れることがあります。それは自ら努力して治したいと思っていることです
これは一番重要なことです。
これをあきらめたらまたスタートラインに戻ってしまいます。
努力し続けることをあきらめずに頑張ってください。そこから道は開かれてくると思います」
自分が変わらなければ、何も変わらない。自分と対峙しなければ、何も変われない。そのことに気づいてしまえば、あとは、全てが自分を成長させる材料となります。
そのことに気づいてもらえるのになんと時間がかかったことか。
彼とはもう出合って3年経ちました。
ようやく、彼は気づいてくれました。
これからがスタートライン。長い努力の始まりです。だって、僕自身未だに努力し続けているんですから。
あとは、彼があきらめてしまわないことを願うのみ。
あのK君の時、連絡を絶ったことが、あのショックが、結果的に彼を自己と対峙させました。
せざるをえなかった。僕の時と同じです。
ですが、僕の幼なじみは今僕のそばにはいませんが、Lさんは今僕とまた連絡を取っている。
今度こそ、彼が変われば、彼との友情を築ける日が来るかも知れない。今はまだ、制約の中でのメールのやりとりに過ぎないが、いつの日か。
僕は今、あのとき突き放した勇気は必要だったと思っています。
以前の僕は相手を傷つけないことにばかり執着していました。
ですが、傷つかなければ気づけないこともある。もちろん傷つかずにできるのが一番ですが、僕がそんなことをできるほど頭は良くもないし。自分の限界を知ること。
もし、自分が誰かにに何らかの力になろうと思うなら、その人を結果的に傷つけるかもしれないこと、また、自分の信念から外れる失敗もあること。そのことを自分自身受け入れる覚悟がなければならないと思います。
僕は一度K君を突き放してしまいました。ですが、K君が再び戻ってきたときの門戸は閉ざしてはいけない。それならば、突き放すことに意味はある。そう思います。
理想を抱えた人助けは柔軟性を奪う。傷つく、傷つけること自体は悪じゃない。問題はその先に何を想定するか、その人の幸せか?不幸か?もちろん、それが独善に陥ってしまうことは避けなければなりませんが。
いつかまたあう日(たとえ会うことがなくても)のために、その人への門とは閉ざさないでおくということこそが肝要なのだと現時点では思っています。
その人をLさんと呼びます。
Lさんからのメールは、ある人とメールを始めたけど、その人の相談に乗ってあげたいけど自分ではどうしていいのかわからないのでアドバイスをくださいというものでした。
そして、その人とのやりとりはサークルの掲示板に書かれているので読んでくれとのことだったので、仕事で忙しく全く見れていなかった掲示板を久々に見てみました。
そして僕は自分の思うことをLさんに伝えました。
その日から、Lさんとのメールのやりとりが始まりました。
僕がLさんとメールをやり始めた当初は、掲示板は平和でした。
ですが、しばらくして、Lさんの書き込みに、過去のK君を思わせるような表現が沢山見られるようになっていったのです。掲示板は荒れていきました。
僕はLさんは、K君ではないかという疑念がわきました。
Lさんはとても言葉遣いが丁寧でしたし、K君よりもメールの内容が思慮深く感じられたので、最初は疑念でしかありませんでしたが、掲示板が荒れていく様を見るにつけ、僕はLさんがK君であると確信しました。
ですが、僕はLさんにそのことはいいませんでした。
LさんにはLさんとして接することにしました。
僕は、Lさんの掲示板での発言について厳しく注意しました。以前のK君なら、そのことに腹を立て、さらに荒れるのですが、Lさんは素直にそのことを受け入れ、掲示板に謝罪文を書きました。僕はそのことに驚きました。
この一件のあと、Lさんが「自分はコミュケーション力がないので、今後掲示板の書き込みや、人生のことについて、継続して相談に乗ってもらえないか?」という提案を受けたとき、僕は過去の依存体制にならないように、制約を設けました。メールは、1日1〜2通に制限し、僕は忙しいのでなかなか返せないけど、気長に待ってくれること、等です。
つまり、僕はK君(Lさん)と再びメールをすることになったのです。なぜ、K君(Lさん)と再びメールすることにしたのか。それは、K君(Lさん)に明らかな努力が認められたからです。
その努力の部分とは、自分のミスや、落ち度を認め、謝罪できること、です。
Lさんの言動や、行動自体は、あまり以前のK君と変わりありません。変わっている部分といえば、K君の頃よりも言葉遣いが丁寧になっている、ということくらいです。
ですから、掲示板は、その後も何度となく荒れ、その度に、僕はLさんにメールを送り不適切な部分を指摘する。という作業が繰り返されました。
さて、そして現在に至ります。
メールのやりとりは、未だ続いています。今後、以前のようなことにならなければ、メールのやりとりが途絶えることはないと思います。
Lさんは結局、自分からK君であることを言ってきました。
しかし、あの頃の自分と決別するために、Lさんとして接してくれることを彼は望みました。
僕は、Lさんのこれからに、以前のような絶望感は感じていません。なぜなら、今の彼とのメールには、自己と対峙し苦悩する様が書かれているからです。
彼はもう自分から逃げてはいないのです。
たとえ、依然と同じ過ちを繰り返していても、そこから脱却できる日は来る。。彼が努力し続ける限りはいつか絶対に。
ある日、Lさんからこんなメールが届きました。
「僕は昔とちっとも変わっていないのでしょうか?変わろうと努力してきたつもりだったのに。今では家でも何も壊さずに我慢して、親の手伝いもして大人になろうと自分に誓ってきたのに」
それに対して、僕はこう返信しました。
「人間はすぐに変われるものではありません。まだ努力しはじめて間もないじゃないですか。人間が変わるのには、数年、数十年かかることもあります。ただ努力し続けていれば少しづつ変わっていけるはずです。
今、Lさんが確実に変わったと言い切れることがあります。それは自ら努力して治したいと思っていることです
これは一番重要なことです。
これをあきらめたらまたスタートラインに戻ってしまいます。
努力し続けることをあきらめずに頑張ってください。そこから道は開かれてくると思います」
自分が変わらなければ、何も変わらない。自分と対峙しなければ、何も変われない。そのことに気づいてしまえば、あとは、全てが自分を成長させる材料となります。
そのことに気づいてもらえるのになんと時間がかかったことか。
彼とはもう出合って3年経ちました。
ようやく、彼は気づいてくれました。
これからがスタートライン。長い努力の始まりです。だって、僕自身未だに努力し続けているんですから。
あとは、彼があきらめてしまわないことを願うのみ。
あのK君の時、連絡を絶ったことが、あのショックが、結果的に彼を自己と対峙させました。
せざるをえなかった。僕の時と同じです。
ですが、僕の幼なじみは今僕のそばにはいませんが、Lさんは今僕とまた連絡を取っている。
今度こそ、彼が変われば、彼との友情を築ける日が来るかも知れない。今はまだ、制約の中でのメールのやりとりに過ぎないが、いつの日か。
僕は今、あのとき突き放した勇気は必要だったと思っています。
以前の僕は相手を傷つけないことにばかり執着していました。
ですが、傷つかなければ気づけないこともある。もちろん傷つかずにできるのが一番ですが、僕がそんなことをできるほど頭は良くもないし。自分の限界を知ること。
もし、自分が誰かにに何らかの力になろうと思うなら、その人を結果的に傷つけるかもしれないこと、また、自分の信念から外れる失敗もあること。そのことを自分自身受け入れる覚悟がなければならないと思います。
僕は一度K君を突き放してしまいました。ですが、K君が再び戻ってきたときの門戸は閉ざしてはいけない。それならば、突き放すことに意味はある。そう思います。
理想を抱えた人助けは柔軟性を奪う。傷つく、傷つけること自体は悪じゃない。問題はその先に何を想定するか、その人の幸せか?不幸か?もちろん、それが独善に陥ってしまうことは避けなければなりませんが。
いつかまたあう日(たとえ会うことがなくても)のために、その人への門とは閉ざさないでおくということこそが肝要なのだと現時点では思っています。
突き放す勇気 (5)
2007年1月27日 連載さて、ここから先は、記すととても長くなります。
結論から言うと、僕の意志からすると最悪の結果となり、しかし、現状としては良い方向に向かっているのです。
これは矛盾でも何でもありません。
なぜそうなったかをできるだけ簡単に説明します。
K君とのメールは日に日に増え、1日に数十通にのぼるようになりました。内容もどんどん過激になり、中傷もひどくなっていきました。それは僕を信頼。。というよりも依存性がいや増していくばかりのように思われました。
僕はその課程で、様々な思考の変転を繰り返します。
僕は最初彼のいうことに、質問に一つ一つ丁寧に答えていましたが、彼は何度となく同じ質問をしてくるのです。一度は納得しても違う状況で同じ疑問がわいてくるとわからなくなる。違う状況でも、問題の原理が同じなら応用が利く、また出てくる真理は同じであることを彼は把握していませんでした。それと、他人の言動に左右されすぎました。僕も含めて、他人の助言は助言に過ぎず、それをどう選択しどう適用させるかはK君が決めるしかないことです。しかし、K君は人のいったこと全てに影響を受け、正反対の意見が出ると混乱してしまうのです。
同じ質問が永久に続くかと思うにいたり、僕はK君には主体性が欠如していることに気づき、主体性を身につけることこそが急務だと思いました。
K君は最初、自分の病気、もしくは障害を治したいので、協力して欲しい、といっていましたが、そのもっとも肝心の彼の意志ともいえる部分が、二転三転してしまうのです。
ですから、K君の場合は主体性の回復ではなく主体性の創造といっても良いかも知れません。
僕はK君の最初の、障害を治したいという言葉を信じて彼の矛盾に踏み入ることを決意しました。
彼が「誰々がこういったけど、キタム君はどう思う?」といったとき、自分の考えを述べた上で、必ずK君にも自分はどう思うのかをふりるようにしました。
また、会話の中で矛盾があったとき、「この前はこういってたけど、今はこうなんだけど、いったいホントのことはどっち?」と問いました。
これは、いやがおうにもK君を自分自信と対面させることになります。
今まで回避してきたことの対面を強いられたK君は不安と混乱で、ますます僕に対する攻撃を強めました。
ですが、僕が望んだように、K君は自分を見つめるようにはなりませんでした。K君は僕を攻撃することで自己との対面から避け続け、徐々に僕もその繰り返しに疲れていきました。
K君の中傷は巧みでした。それは僕の想像を超えていました。
僕はK君の信頼できる友人になるという希望の元、K君に自分の全てのことを話していました。その全てのことを使って彼は僕を傷つけようとしました。僕の強迫のこと、僕の過去のこと、僕の背骨が曲がっていること。K君は、僕が最初に言った絶対に関係を切ったりはしない、という言葉を盾にしていいように利用しているのではないか?果たしていましていることは K君のためになるのか?僕自身も自分に問いかけることが多くなっていきました。
ある日、Kくんは、出会い系に僕の名前で登録し、また僕の入っているサークルの掲示板に僕の中傷を書きました。
今まで耐えてきた僕の精神も、もう限界でした。
K君との連絡を絶つことを決めました。
その頃は僕はもう仕事をし始めていましたし、僕自身が、精神がすり減ってきていたんだと思います。
僕は大きなことを学びました。
「己を知れ」ということです。
時間があり、気力が十分な時は、気づきにくいことです。ですが、その情熱の赴くままに突っ走っては、いずれは自分自身が持たなくなり、逆に相手を傷つけることにもなるのです。自分の精神力の強さをもう少し慎重に分析していたら、あのような無謀な覚悟による実行は、していなかったでしょう。
K君を突き放すことは大変な勇気を伴いました。
それはK君の今後に対する勇気。自分の信念の敗北を認めることへの勇気。結果的にK君をひどく出合う前よりもひどく傷つけることになった罪悪感に耐える勇気。
僕の意志でK君を自己と対面させることは適いませんでした。
僕がK君との関係を絶つにあたって、最後に希望を託したのは、過去の自分と同じ、最大の依存対象がいなくなったことにより、自己との対面を必然的に強いられる、ことです。
そして、そうなることに、すこしでも、K君と繰り返した、これまでのメールの会話が、僕の伝えたいことが、K君の主体性の源泉となってくれること。
僕はK君と連絡を絶ちました。掲示板への僕に対する中傷の書き込みも、連絡を絶ってしばらくは苛烈を極めましたが、しばらく後に書き込み事態なくなり、K君はネットから姿を消しました。
それから数ヶ月後、変化は起こりました。
結論から言うと、僕の意志からすると最悪の結果となり、しかし、現状としては良い方向に向かっているのです。
これは矛盾でも何でもありません。
なぜそうなったかをできるだけ簡単に説明します。
K君とのメールは日に日に増え、1日に数十通にのぼるようになりました。内容もどんどん過激になり、中傷もひどくなっていきました。それは僕を信頼。。というよりも依存性がいや増していくばかりのように思われました。
僕はその課程で、様々な思考の変転を繰り返します。
僕は最初彼のいうことに、質問に一つ一つ丁寧に答えていましたが、彼は何度となく同じ質問をしてくるのです。一度は納得しても違う状況で同じ疑問がわいてくるとわからなくなる。違う状況でも、問題の原理が同じなら応用が利く、また出てくる真理は同じであることを彼は把握していませんでした。それと、他人の言動に左右されすぎました。僕も含めて、他人の助言は助言に過ぎず、それをどう選択しどう適用させるかはK君が決めるしかないことです。しかし、K君は人のいったこと全てに影響を受け、正反対の意見が出ると混乱してしまうのです。
同じ質問が永久に続くかと思うにいたり、僕はK君には主体性が欠如していることに気づき、主体性を身につけることこそが急務だと思いました。
K君は最初、自分の病気、もしくは障害を治したいので、協力して欲しい、といっていましたが、そのもっとも肝心の彼の意志ともいえる部分が、二転三転してしまうのです。
ですから、K君の場合は主体性の回復ではなく主体性の創造といっても良いかも知れません。
僕はK君の最初の、障害を治したいという言葉を信じて彼の矛盾に踏み入ることを決意しました。
彼が「誰々がこういったけど、キタム君はどう思う?」といったとき、自分の考えを述べた上で、必ずK君にも自分はどう思うのかをふりるようにしました。
また、会話の中で矛盾があったとき、「この前はこういってたけど、今はこうなんだけど、いったいホントのことはどっち?」と問いました。
これは、いやがおうにもK君を自分自信と対面させることになります。
今まで回避してきたことの対面を強いられたK君は不安と混乱で、ますます僕に対する攻撃を強めました。
ですが、僕が望んだように、K君は自分を見つめるようにはなりませんでした。K君は僕を攻撃することで自己との対面から避け続け、徐々に僕もその繰り返しに疲れていきました。
K君の中傷は巧みでした。それは僕の想像を超えていました。
僕はK君の信頼できる友人になるという希望の元、K君に自分の全てのことを話していました。その全てのことを使って彼は僕を傷つけようとしました。僕の強迫のこと、僕の過去のこと、僕の背骨が曲がっていること。K君は、僕が最初に言った絶対に関係を切ったりはしない、という言葉を盾にしていいように利用しているのではないか?果たしていましていることは K君のためになるのか?僕自身も自分に問いかけることが多くなっていきました。
ある日、Kくんは、出会い系に僕の名前で登録し、また僕の入っているサークルの掲示板に僕の中傷を書きました。
今まで耐えてきた僕の精神も、もう限界でした。
K君との連絡を絶つことを決めました。
その頃は僕はもう仕事をし始めていましたし、僕自身が、精神がすり減ってきていたんだと思います。
僕は大きなことを学びました。
「己を知れ」ということです。
時間があり、気力が十分な時は、気づきにくいことです。ですが、その情熱の赴くままに突っ走っては、いずれは自分自身が持たなくなり、逆に相手を傷つけることにもなるのです。自分の精神力の強さをもう少し慎重に分析していたら、あのような無謀な覚悟による実行は、していなかったでしょう。
K君を突き放すことは大変な勇気を伴いました。
それはK君の今後に対する勇気。自分の信念の敗北を認めることへの勇気。結果的にK君をひどく出合う前よりもひどく傷つけることになった罪悪感に耐える勇気。
僕の意志でK君を自己と対面させることは適いませんでした。
僕がK君との関係を絶つにあたって、最後に希望を託したのは、過去の自分と同じ、最大の依存対象がいなくなったことにより、自己との対面を必然的に強いられる、ことです。
そして、そうなることに、すこしでも、K君と繰り返した、これまでのメールの会話が、僕の伝えたいことが、K君の主体性の源泉となってくれること。
僕はK君と連絡を絶ちました。掲示板への僕に対する中傷の書き込みも、連絡を絶ってしばらくは苛烈を極めましたが、しばらく後に書き込み事態なくなり、K君はネットから姿を消しました。
それから数ヶ月後、変化は起こりました。
突き放す勇気 (4)
2007年1月25日 連載 コメント (2)依存の対象が僕に移ったのは、僕が意図したことでもありました。
他のメンバーは皆強迫を持ちながら仕事をしていたし、その上にK君とのやりとりの負担は、大変です。
僕は当時働いてなくて、薬のおかげでだいぶ強迫も軽くなっていました。
それに何より、これは僕自身の救済でもあるように思えたのです。僕は、誰かに献身することで、裏切らないことで、人間は信じられる存在だ、ということを自分自身で証明してみたかったわけです。
K君の話す過去の話が大変辛いものであると前の日記で書きました。しかしK君とメールのやりとりをするうちに、K君のメールに矛盾が生じてきて、明らかにいくらかの部分が虚飾であることに気づきました。
なぜ嘘をつくのか。。K君の話す通りの過去ではないにしても、K君の過去、また辛さの根は深いように感じました。
僕は、K君に心を開いてもらおうと思いました。ですから、僕はK君の相談相手ではなく、友人になることを望んだのです。
過去の僕とK君が似ているのは確かです、ですから、他の人よりも自分はK君のことが理解できる自負がありましたし、K君が暴言を吐いても昔の自分の気持ちを思い出せば耐えられる。。とそのときは思っていました。
K君が自分自信と向かい合うことができれば、暴言はなくなるはずです。僕は暴言に耐えつつ、どうしたら、K君を自分と向かい合わせることができるか、試行錯誤の日々が始まりました。
まず、過去の自分、そしてK君のことをもっとよく知るために人格障害関係の本を読みあさりました。K君が、過去の自分が人格障害であるという鋳型にはめるためではありません。過去の自分やK君がどういった人格障害の傾向を持っているのかを自分なりに解釈し、その人格障害に対して現在有効だとされている治療法を応用するためです。
人格障害の傾向は一つに限定できるものではありませんが、その中で過去の自分およびK君の行動と最も多く一致する人格障害を見つけました。
それは、「境界線人格障害」です。
境界性人格障害を簡単に説明すると、
『情緒面や対人関係の変動の激しさと、周囲に対する操作的な態度が最大の特徴。つい先ごろまで機嫌がよかったかのに、相手の些細な一言で傷つくと、急に不機嫌になったり、死にかかわる挙動を示したりする。
躁鬱のように、何ヶ月という長い期間ではなく、もっと短いスパンで、気分の変調を繰り返す。
「見捨てられ抑うつ」という特性を持つ。
自分はいらない存在だ、という思いこみがあり、愛情や関心を失ったと感じることが、その思いこみを確信させ、絶望に陥らせる。これは、過去そういった経験をしたことが由来している場合が多い。
対人関係では、過度な親しみや尊敬を示したかと思うと、急に、相手を拒否したり、激しく悪態をつき始める。
その人物の人生をたどってみると、必ず、どこかに愛情を損なわれた状況が浮上してくる。』
というものです。
もちろん、僕は医者でも何でもありませんから、ただ、僕がK君は、「境界性人格障害」の傾向が強い、と感じただけです。
ですが、それが僕にとって今後の対処や選択への方向性を示してくれる指針となりました。
K君とのメールの中で、虚飾の中から見えてきた真実。それは、K君が複雑な家庭環境の中で育ったことと、身体的な障害で幼い頃に辛い虐めにあったこと。
ですから、K君は、愛情に対する不安感が常にあるのだと思いました。人が、たとえば、僕が愛情を示しても信じられず、故に虚飾で自分を飾り立て、本当の自分を隠す。自分を知られると嫌われるという不安、もしくは、この人間はまだ信じられないから、本当のことはいえない、というような感じだと思います。
信頼の欠如。愛情の永続性に対する信頼感を「対象恒常性」というそうです。愛情に対して不安感を持つK君は、この対象恒常性が欠如しています。
ですから、メールがすぐに返ってこないときなど、感情が不安定となり、暴言が始まります。
対象恒常性を取り戻すには、K君に絶対の信頼をもてる存在を作り出すこと。。K君が自分と向き合うためには、そのことから始めなければならないと思いました。
果たして、僕がK君が信頼する人物となれるのか。なれたとして、自分が思っていたような結果になるでしょうか。
自分の覚悟が問われました。そして、これは、僕にとっても過去の自分の経験と心理だけを頼りに選択した、はなはだ頼りない先行きの不安な賭でした。。
他のメンバーは皆強迫を持ちながら仕事をしていたし、その上にK君とのやりとりの負担は、大変です。
僕は当時働いてなくて、薬のおかげでだいぶ強迫も軽くなっていました。
それに何より、これは僕自身の救済でもあるように思えたのです。僕は、誰かに献身することで、裏切らないことで、人間は信じられる存在だ、ということを自分自身で証明してみたかったわけです。
K君の話す過去の話が大変辛いものであると前の日記で書きました。しかしK君とメールのやりとりをするうちに、K君のメールに矛盾が生じてきて、明らかにいくらかの部分が虚飾であることに気づきました。
なぜ嘘をつくのか。。K君の話す通りの過去ではないにしても、K君の過去、また辛さの根は深いように感じました。
僕は、K君に心を開いてもらおうと思いました。ですから、僕はK君の相談相手ではなく、友人になることを望んだのです。
過去の僕とK君が似ているのは確かです、ですから、他の人よりも自分はK君のことが理解できる自負がありましたし、K君が暴言を吐いても昔の自分の気持ちを思い出せば耐えられる。。とそのときは思っていました。
K君が自分自信と向かい合うことができれば、暴言はなくなるはずです。僕は暴言に耐えつつ、どうしたら、K君を自分と向かい合わせることができるか、試行錯誤の日々が始まりました。
まず、過去の自分、そしてK君のことをもっとよく知るために人格障害関係の本を読みあさりました。K君が、過去の自分が人格障害であるという鋳型にはめるためではありません。過去の自分やK君がどういった人格障害の傾向を持っているのかを自分なりに解釈し、その人格障害に対して現在有効だとされている治療法を応用するためです。
人格障害の傾向は一つに限定できるものではありませんが、その中で過去の自分およびK君の行動と最も多く一致する人格障害を見つけました。
それは、「境界線人格障害」です。
境界性人格障害を簡単に説明すると、
『情緒面や対人関係の変動の激しさと、周囲に対する操作的な態度が最大の特徴。つい先ごろまで機嫌がよかったかのに、相手の些細な一言で傷つくと、急に不機嫌になったり、死にかかわる挙動を示したりする。
躁鬱のように、何ヶ月という長い期間ではなく、もっと短いスパンで、気分の変調を繰り返す。
「見捨てられ抑うつ」という特性を持つ。
自分はいらない存在だ、という思いこみがあり、愛情や関心を失ったと感じることが、その思いこみを確信させ、絶望に陥らせる。これは、過去そういった経験をしたことが由来している場合が多い。
対人関係では、過度な親しみや尊敬を示したかと思うと、急に、相手を拒否したり、激しく悪態をつき始める。
その人物の人生をたどってみると、必ず、どこかに愛情を損なわれた状況が浮上してくる。』
というものです。
もちろん、僕は医者でも何でもありませんから、ただ、僕がK君は、「境界性人格障害」の傾向が強い、と感じただけです。
ですが、それが僕にとって今後の対処や選択への方向性を示してくれる指針となりました。
K君とのメールの中で、虚飾の中から見えてきた真実。それは、K君が複雑な家庭環境の中で育ったことと、身体的な障害で幼い頃に辛い虐めにあったこと。
ですから、K君は、愛情に対する不安感が常にあるのだと思いました。人が、たとえば、僕が愛情を示しても信じられず、故に虚飾で自分を飾り立て、本当の自分を隠す。自分を知られると嫌われるという不安、もしくは、この人間はまだ信じられないから、本当のことはいえない、というような感じだと思います。
信頼の欠如。愛情の永続性に対する信頼感を「対象恒常性」というそうです。愛情に対して不安感を持つK君は、この対象恒常性が欠如しています。
ですから、メールがすぐに返ってこないときなど、感情が不安定となり、暴言が始まります。
対象恒常性を取り戻すには、K君に絶対の信頼をもてる存在を作り出すこと。。K君が自分と向き合うためには、そのことから始めなければならないと思いました。
果たして、僕がK君が信頼する人物となれるのか。なれたとして、自分が思っていたような結果になるでしょうか。
自分の覚悟が問われました。そして、これは、僕にとっても過去の自分の経験と心理だけを頼りに選択した、はなはだ頼りない先行きの不安な賭でした。。
突き放す勇気 (3)
2007年1月24日 連載僕は日記のタイトルにもわかるとおり、強迫性障害です。
僕は、この障害の自助サークルに入っているんです。
ある日、そこの掲示板やチャットで一人の男性と出会いました。
その男性は強迫性障害ではありませんでしたが、苦しんでいたので、サークル内の何人かで力になろうということになりました。
その男性をK君と仮名します。
K君は孤独を訴えていました。
ある日、孤独のいらだちから壁を殴って拳が折れた。。との書き込みを見て、僕は、個人的にK君とメールのやりとりをするようになりました。。
メールは、最初は、ごく平凡なものでした。K君の言葉遣いも凄く丁寧でした。K君の話す過去の話も、凄く辛いもので、よくここまで一人で頑張ってきたと思わずにはいられないものでした。
しかしです。
K君はじつは僕の他にもサークル内でメールをやりとりしている人物がいました。
ある時、僕はその人から、K君についての相談を受けました。
「K君の暴言が毎日のように送られてくる」
というものです。
そのとき、僕の脳裏に「K君はこの人に依存しているのではないか?」という疑念がわきました。
その人は、メールをするのが怖くなり、しばらく返信していないということでした。
程なくして、K君のメールに少しずつ言葉に刺が見え始めてきました。それとともに、もう一人のやりとりしていた人へのメールはほぼ途絶えました。
「依存」の対象が僕に移ったわけです。
この時点で、僕はある覚悟を決めました。それは、どんなことがあろうと彼を見放さない、というものです。
そうです。僕はK君の中に過去の自分を見いだしていたわけです。
前の日記に書いたとおり、僕は彼が決別の辛さによって自己との対面を偶然にせざる終えなくなる前に、友という形で自覚の元に自己との対面を果たさせようと思ったのです。
彼にこれ以上傷を負わせないために。
さて、事前にいっておきます。僕のこの浅はかな、そして独善的な意気込みは挫かれることになります。そう、覚悟といっていたのに、挫かれてしまったのです。
しかし、そのときに僕はまさに覚悟をしたことに偽りはありません。ですから覚悟と書いたのです。爾後、諦めてしまえば、それは覚悟でも何でもないんですけどね。
それは僕の自分に対する過信と、想定の甘さが引き起こしたのです。
僕は、この障害の自助サークルに入っているんです。
ある日、そこの掲示板やチャットで一人の男性と出会いました。
その男性は強迫性障害ではありませんでしたが、苦しんでいたので、サークル内の何人かで力になろうということになりました。
その男性をK君と仮名します。
K君は孤独を訴えていました。
ある日、孤独のいらだちから壁を殴って拳が折れた。。との書き込みを見て、僕は、個人的にK君とメールのやりとりをするようになりました。。
メールは、最初は、ごく平凡なものでした。K君の言葉遣いも凄く丁寧でした。K君の話す過去の話も、凄く辛いもので、よくここまで一人で頑張ってきたと思わずにはいられないものでした。
しかしです。
K君はじつは僕の他にもサークル内でメールをやりとりしている人物がいました。
ある時、僕はその人から、K君についての相談を受けました。
「K君の暴言が毎日のように送られてくる」
というものです。
そのとき、僕の脳裏に「K君はこの人に依存しているのではないか?」という疑念がわきました。
その人は、メールをするのが怖くなり、しばらく返信していないということでした。
程なくして、K君のメールに少しずつ言葉に刺が見え始めてきました。それとともに、もう一人のやりとりしていた人へのメールはほぼ途絶えました。
「依存」の対象が僕に移ったわけです。
この時点で、僕はある覚悟を決めました。それは、どんなことがあろうと彼を見放さない、というものです。
そうです。僕はK君の中に過去の自分を見いだしていたわけです。
前の日記に書いたとおり、僕は彼が決別の辛さによって自己との対面を偶然にせざる終えなくなる前に、友という形で自覚の元に自己との対面を果たさせようと思ったのです。
彼にこれ以上傷を負わせないために。
さて、事前にいっておきます。僕のこの浅はかな、そして独善的な意気込みは挫かれることになります。そう、覚悟といっていたのに、挫かれてしまったのです。
しかし、そのときに僕はまさに覚悟をしたことに偽りはありません。ですから覚悟と書いたのです。爾後、諦めてしまえば、それは覚悟でも何でもないんですけどね。
それは僕の自分に対する過信と、想定の甘さが引き起こしたのです。
突き放す勇気 (2)
2007年1月23日 連載うすうすは感じていても、離婚の引導を渡されるまで直せない夫の例のごとく、人間という生きものはおろかです。
自分が一番おそれていることが、今のままではいつか起こることがわかっていても、それが実際に起こるまで、その危機を確信しようとはしないんですから。
僕は見放されました。来るべき時が来たのです。
おそらく、この経験が踏み出すきっかけとなったのは、依存する相手が、一人しかいなかった。つまりその頃の僕には自分の感情をそのままにはき出せる相手が幼なじみしかいなかったからでしょう。
幼なじみを失った僕は、拠るべきもの、依存する対象がなくなりました。必然的に、僕は自己へ向かっていくしかなくなったわけです。
だから、結果的に、当時の状況は自分にとって不幸のように見えて、幸運だったのかも知れません。
もし、他に依存するべき対象を見いだしていたら、そちらに逃避し、自己を省みることはなかったでしょうから。
内省への一歩。
なぜ・・・を考える。
自分が変わっていかなければ、現状は変わらない。このことは、簡単なようで、単純なようで、実は気づくことが難しい。
そして、気づいても、自分で治そうと努力する気持ちへ持って行くことはもっと難しい。
自分自身の過ちを認め、そしてそんな自分を認め、見つめることは、並大抵の苦しさではありません。
そして今現在、僕が傍目には、それほど異質に映らないとすれば、それはこの自己と向き合い、変革を志したから、そしてそのきっかけとなった幼なじみとの決別があったからです。
実際には、変革は現在進行中ですが、あのきっかけがなければ、僕の現在は今よりももっと陰惨なものになっていたでしょう。
さて、以上の経緯からわかるように、僕が自己と向き合えたのは、出来事自体尾は不幸ではあってもこの場合「僥倖」とよんでも差し支えない運命の偶然によるものでした。
でも僕には一片の後悔があり、また願望の残滓があります。
それは、もし、あの当時、僕の症状を理解できる人物がいて、適切な助言を与えてくれるものがいたなら、幼なじみと決別することはなかったかも知れない。あのような辛い体験を経ずとも、自分が自分自身と対面する大切さに気づき変わり得たかも知れない。。ということなのです。
それ以来、僕はもし当時の僕と同じような人がいたら、どうにか力になって、僕が辿ってきたような辛さをあじあわせる前に、その人を自己との対面へ向かわせられないだろうかと思うようになりました。
なぜなら、偶然に拠って自己変革を気づきうるのは、ごく稀な例だと思うからです。僕は幸運だったのです。ですが偶然に頼ることは、あまりにも内省へと向かう確率が低すぎる。
それに、最悪のショックが引き金となると、自己と対峙できるようになるかもしれない代わりに、何らかの欠落を伴います。心に深い、もしかしたら一生取れない傷を負うことになるのです。
もし僕がそういった人に気づいたなら、たとえ一人でも、偶然ではなく、そして最悪の事態に追い込まれ強制的に自己変革せざる状態に陥る前に、自覚の元に内省へ促すことができないかと考えたのです。
僕が経験したような辛さを他の何人にももう味わって欲しくない。。というのははひどい思い上がりだとは思いますが、そのような切実さを持つように至ったわけです。
上記の僕の過去と心理の経緯を踏まえた上で、ある人物との出会い、そこから派生した現在直面している問題、試行錯誤や逡巡などを確認し、僕の現状の思考の立ち位置を明確にしてみたいと思います。
自分が一番おそれていることが、今のままではいつか起こることがわかっていても、それが実際に起こるまで、その危機を確信しようとはしないんですから。
僕は見放されました。来るべき時が来たのです。
おそらく、この経験が踏み出すきっかけとなったのは、依存する相手が、一人しかいなかった。つまりその頃の僕には自分の感情をそのままにはき出せる相手が幼なじみしかいなかったからでしょう。
幼なじみを失った僕は、拠るべきもの、依存する対象がなくなりました。必然的に、僕は自己へ向かっていくしかなくなったわけです。
だから、結果的に、当時の状況は自分にとって不幸のように見えて、幸運だったのかも知れません。
もし、他に依存するべき対象を見いだしていたら、そちらに逃避し、自己を省みることはなかったでしょうから。
内省への一歩。
なぜ・・・を考える。
自分が変わっていかなければ、現状は変わらない。このことは、簡単なようで、単純なようで、実は気づくことが難しい。
そして、気づいても、自分で治そうと努力する気持ちへ持って行くことはもっと難しい。
自分自身の過ちを認め、そしてそんな自分を認め、見つめることは、並大抵の苦しさではありません。
そして今現在、僕が傍目には、それほど異質に映らないとすれば、それはこの自己と向き合い、変革を志したから、そしてそのきっかけとなった幼なじみとの決別があったからです。
実際には、変革は現在進行中ですが、あのきっかけがなければ、僕の現在は今よりももっと陰惨なものになっていたでしょう。
さて、以上の経緯からわかるように、僕が自己と向き合えたのは、出来事自体尾は不幸ではあってもこの場合「僥倖」とよんでも差し支えない運命の偶然によるものでした。
でも僕には一片の後悔があり、また願望の残滓があります。
それは、もし、あの当時、僕の症状を理解できる人物がいて、適切な助言を与えてくれるものがいたなら、幼なじみと決別することはなかったかも知れない。あのような辛い体験を経ずとも、自分が自分自身と対面する大切さに気づき変わり得たかも知れない。。ということなのです。
それ以来、僕はもし当時の僕と同じような人がいたら、どうにか力になって、僕が辿ってきたような辛さをあじあわせる前に、その人を自己との対面へ向かわせられないだろうかと思うようになりました。
なぜなら、偶然に拠って自己変革を気づきうるのは、ごく稀な例だと思うからです。僕は幸運だったのです。ですが偶然に頼ることは、あまりにも内省へと向かう確率が低すぎる。
それに、最悪のショックが引き金となると、自己と対峙できるようになるかもしれない代わりに、何らかの欠落を伴います。心に深い、もしかしたら一生取れない傷を負うことになるのです。
もし僕がそういった人に気づいたなら、たとえ一人でも、偶然ではなく、そして最悪の事態に追い込まれ強制的に自己変革せざる状態に陥る前に、自覚の元に内省へ促すことができないかと考えたのです。
僕が経験したような辛さを他の何人にももう味わって欲しくない。。というのははひどい思い上がりだとは思いますが、そのような切実さを持つように至ったわけです。
上記の僕の過去と心理の経緯を踏まえた上で、ある人物との出会い、そこから派生した現在直面している問題、試行錯誤や逡巡などを確認し、僕の現状の思考の立ち位置を明確にしてみたいと思います。
突き放す勇気 (1)
2007年1月22日 連載僕は幼い頃、自分の感情をもてあましていました。
というよりも、自分の感情をコントロールすることができませんでした。
僕の心は混沌として、嫉妬や妬みに駆られて、意図せざる暴言や暴挙に出てしまうことが度々あり、僕が望む関係性を人と形成することはあたわず、頻繁に諍いを起こしていました。
元々、人とコミュニケーションをとることが苦手でした。
自分がやっていることが、どうしてだか他の人の物笑いの種になる、もしくは、人の不興を買う。
僕には、そのなぜか。。がわかりませんでしたし、なぜか、を考えることもせず、周りの人が自分を理解してくれないと憎んでばかりいたんです。
一人のやさしい幼なじみがいました。
僕は彼に「依存」していました。彼が他の友達と仲良くしていると、嫉妬に駆られ、彼に暴言を吐くのです。ある時は、彼の頭を傘で思い切り殴りました。頭にものすごい瘤ができました。
ですが、その頃の僕は、その行為に罪を感じていませんでした。
「僕を蔑ろにして、他の人間と遊んだ彼が悪い。」
という風に考えていたんです。
自分が相手を傷つけていることはわかっていました。しかし、それは彼が僕を蔑ろにしたそれと同じ痛みを味わえ、といった酷く浅はかな復讐であったのです。今思えばそれはそのときの自分流の切実なシグナル。自分の気持ちを伝えたいシグナルであったんだろうと思います。僕はその頃、他に訴える手段を知らなかった、無知だったのです。
彼は、本当に優しかった。そのようなことがあったのに、未だに僕を見捨てず、友達でいてくれていたんですから。。ですが、終わりは来ました。
時は流れます。成長とともに、自分のしていることの異常性が理解できるようになっていきました。
しかし、僕は相変わらず、感情を抑えることができず、幼なじみを罵倒する日々が続いていました。
ただ、その頃になると、うすうす現状が永久に続くはずはないとわかっていたし、異常性を治す必要性も感じていました。でも、深くは考えず、そのことに踏み込みもしませんでした。なぜなら、僕のもっとも信頼を寄せる幼なじみ、つまり依存の対象が存在したからです。その人という存在がいる限りは、変わらなくても失わない(はずの)存在がある限りは、僕は変わりたくても変わることができなかった。
それが「依存」です。一歩を踏み出す恐怖や労力より、安穏と気持ちをぶつけられる対象に寄りかかってしまう。関係性を破滅へと導くのがわかっていても。。
中学一年の夏。時はきました。
その日から、僕が話しかけても、幼なじみは一言も言葉を返さなくなりました。
「ついに来たか。。」
そのとき、思ったことです。今でも忘れていません。
暴言を続けていたら、何時かは訪れる。。わかっていたことです。でも止められなかった。覚悟していたのに、止められなかった。
僕は見放されました。当然の結果です。
僕のすべてが崩壊しました。そのショックは、おそらく今までの人生でももっとも辛いものだっかもしれません。
ですが、このことが、僕の一歩。内省への旅の始まりともなったわけです。
というよりも、自分の感情をコントロールすることができませんでした。
僕の心は混沌として、嫉妬や妬みに駆られて、意図せざる暴言や暴挙に出てしまうことが度々あり、僕が望む関係性を人と形成することはあたわず、頻繁に諍いを起こしていました。
元々、人とコミュニケーションをとることが苦手でした。
自分がやっていることが、どうしてだか他の人の物笑いの種になる、もしくは、人の不興を買う。
僕には、そのなぜか。。がわかりませんでしたし、なぜか、を考えることもせず、周りの人が自分を理解してくれないと憎んでばかりいたんです。
一人のやさしい幼なじみがいました。
僕は彼に「依存」していました。彼が他の友達と仲良くしていると、嫉妬に駆られ、彼に暴言を吐くのです。ある時は、彼の頭を傘で思い切り殴りました。頭にものすごい瘤ができました。
ですが、その頃の僕は、その行為に罪を感じていませんでした。
「僕を蔑ろにして、他の人間と遊んだ彼が悪い。」
という風に考えていたんです。
自分が相手を傷つけていることはわかっていました。しかし、それは彼が僕を蔑ろにしたそれと同じ痛みを味わえ、といった酷く浅はかな復讐であったのです。今思えばそれはそのときの自分流の切実なシグナル。自分の気持ちを伝えたいシグナルであったんだろうと思います。僕はその頃、他に訴える手段を知らなかった、無知だったのです。
彼は、本当に優しかった。そのようなことがあったのに、未だに僕を見捨てず、友達でいてくれていたんですから。。ですが、終わりは来ました。
時は流れます。成長とともに、自分のしていることの異常性が理解できるようになっていきました。
しかし、僕は相変わらず、感情を抑えることができず、幼なじみを罵倒する日々が続いていました。
ただ、その頃になると、うすうす現状が永久に続くはずはないとわかっていたし、異常性を治す必要性も感じていました。でも、深くは考えず、そのことに踏み込みもしませんでした。なぜなら、僕のもっとも信頼を寄せる幼なじみ、つまり依存の対象が存在したからです。その人という存在がいる限りは、変わらなくても失わない(はずの)存在がある限りは、僕は変わりたくても変わることができなかった。
それが「依存」です。一歩を踏み出す恐怖や労力より、安穏と気持ちをぶつけられる対象に寄りかかってしまう。関係性を破滅へと導くのがわかっていても。。
中学一年の夏。時はきました。
その日から、僕が話しかけても、幼なじみは一言も言葉を返さなくなりました。
「ついに来たか。。」
そのとき、思ったことです。今でも忘れていません。
暴言を続けていたら、何時かは訪れる。。わかっていたことです。でも止められなかった。覚悟していたのに、止められなかった。
僕は見放されました。当然の結果です。
僕のすべてが崩壊しました。そのショックは、おそらく今までの人生でももっとも辛いものだっかもしれません。
ですが、このことが、僕の一歩。内省への旅の始まりともなったわけです。
【Cグループ】
『強迫性人格障害』
物事に決められた秩序があり、そのとおりにすることが最良だと信じている。それは日常のこまごまとしたことから、道徳観に至るまで、広く及んでいる。
生活自体を楽しむよりも、自分の秩序ややり方を維持することのほうにエネルギーが注がれる。
完璧主義であり、手を抜いたり、いい加減にすることができない。
細部にこだわりすぎるあまり、肝心要の部分が疎かになったり、期限に間に合わなくなったりする。
仕事中毒の人にこのタイプが多く、仕事に夢中で、何時の間にか心や体に無理がかかっていることに気づいていなかったがために、心身症や鬱を引き起こしたりもする。
基本的には、道徳的な倫理観の持ち主が多く、義務や責任を重んじ、律儀で真面目である。
しかし、あまりにもそうした義務感にとらわれているために、周囲からは、堅物扱いされ、煙たがられたりすることもある。
そうした問題は、本人だけでなく、周囲にも、自分の基準を求めようとしがちなためである。
『強迫性人格障害』
物事に決められた秩序があり、そのとおりにすることが最良だと信じている。それは日常のこまごまとしたことから、道徳観に至るまで、広く及んでいる。
生活自体を楽しむよりも、自分の秩序ややり方を維持することのほうにエネルギーが注がれる。
完璧主義であり、手を抜いたり、いい加減にすることができない。
細部にこだわりすぎるあまり、肝心要の部分が疎かになったり、期限に間に合わなくなったりする。
仕事中毒の人にこのタイプが多く、仕事に夢中で、何時の間にか心や体に無理がかかっていることに気づいていなかったがために、心身症や鬱を引き起こしたりもする。
基本的には、道徳的な倫理観の持ち主が多く、義務や責任を重んじ、律儀で真面目である。
しかし、あまりにもそうした義務感にとらわれているために、周囲からは、堅物扱いされ、煙たがられたりすることもある。
そうした問題は、本人だけでなく、周囲にも、自分の基準を求めようとしがちなためである。
【Cグループ】
『依存性人格障害』
物事を一人で決められず、常に周囲の相槌や肯定を求め、自分の考えというものを曖昧にしかもたない。周囲にあわせていることが、自分の気持ちだと勘違いしている。
自己評価が低く、相手に嫌われたくないとか、認めてもらおう望むがために、自分が本当に望んでいないことでも受けてしまいがちになり、誰か頼りになる人を欲する気持ちが心の隙となり、セールスや宗教、異性の甘言などに、あらがえなかったりする。
こうした傾向を助長してきたと考えられる原因として、親の過保護で、親がなんでも決めてきたことにより、自主性を削がれたり、もしくは、自己愛的で横暴な親の顔色を伺いながら子ども時代を過ごしたことなどが考えられる。
アルコール依存症の親も持つ人や、アダルト・チルドレンにもしばしばこのタイプの特徴が認められる。
回避性と似ているが、行動に消極的な回避性と違い、依存性の人は、一人でいることが苦手で、耐えず他者や自分を紛らわす誰かが必要なため、割合積極的に行動する。
断ると、嫌われてしまう、見捨てられてしまうという思いこみから、ノーということができない。親がその人の能力や自主性を認めず、抱え込んだり、支配してきたために、誰かにすがらないと生きていけないと信じているのだ。
親の保護を失うことは恐怖であり、そうした親との関係が、他の人との間でも再現される。
『依存性人格障害』
物事を一人で決められず、常に周囲の相槌や肯定を求め、自分の考えというものを曖昧にしかもたない。周囲にあわせていることが、自分の気持ちだと勘違いしている。
自己評価が低く、相手に嫌われたくないとか、認めてもらおう望むがために、自分が本当に望んでいないことでも受けてしまいがちになり、誰か頼りになる人を欲する気持ちが心の隙となり、セールスや宗教、異性の甘言などに、あらがえなかったりする。
こうした傾向を助長してきたと考えられる原因として、親の過保護で、親がなんでも決めてきたことにより、自主性を削がれたり、もしくは、自己愛的で横暴な親の顔色を伺いながら子ども時代を過ごしたことなどが考えられる。
アルコール依存症の親も持つ人や、アダルト・チルドレンにもしばしばこのタイプの特徴が認められる。
回避性と似ているが、行動に消極的な回避性と違い、依存性の人は、一人でいることが苦手で、耐えず他者や自分を紛らわす誰かが必要なため、割合積極的に行動する。
断ると、嫌われてしまう、見捨てられてしまうという思いこみから、ノーということができない。親がその人の能力や自主性を認めず、抱え込んだり、支配してきたために、誰かにすがらないと生きていけないと信じているのだ。
親の保護を失うことは恐怖であり、そうした親との関係が、他の人との間でも再現される。
【Cグループ】
『回避性人格障害』
失敗や傷つくことを恐れるあまりに、行動や決断を避ける。
実際は、やりこなせることでも、失敗したときの不安が、行動にブレーキをかける。
楽しさよりも、それに伴うわずらわしさや不安のほうを強く考えてしまう。
失敗や恥を恐れ、対人関係を極力避けたり、社会に出ていくことに尻込みする。こと、就職や結婚という新しい環境に移ることにとても不安を感じ、のらりくらりと避けたり先延ばししたりする。
現状維持のほうが気楽で安心だと考える。
人の反応に敏感で、少しでも否定的な反応が返ってくると、「やはり自分は駄目だ」と行動できなくなったり、「嫌われても仕方ない人間だから」とかいって対人関係のチャンスも自ら遠慮したりしてしまう。
傷つきたくないという思いと、自分に対する否定的な見方が影響している。
誉められた体験がほとんどなく、いつも否定的な評価にさらされてきた人が多い。
家族からの場合もあれば、教師や友人からのいじめが影響している場合もある。
自分が、自分のコントロールを失うことを極度に恐れる。
僕は、非常にこの障害の傾向が強い。
『回避性人格障害』
失敗や傷つくことを恐れるあまりに、行動や決断を避ける。
実際は、やりこなせることでも、失敗したときの不安が、行動にブレーキをかける。
楽しさよりも、それに伴うわずらわしさや不安のほうを強く考えてしまう。
失敗や恥を恐れ、対人関係を極力避けたり、社会に出ていくことに尻込みする。こと、就職や結婚という新しい環境に移ることにとても不安を感じ、のらりくらりと避けたり先延ばししたりする。
現状維持のほうが気楽で安心だと考える。
人の反応に敏感で、少しでも否定的な反応が返ってくると、「やはり自分は駄目だ」と行動できなくなったり、「嫌われても仕方ない人間だから」とかいって対人関係のチャンスも自ら遠慮したりしてしまう。
傷つきたくないという思いと、自分に対する否定的な見方が影響している。
誉められた体験がほとんどなく、いつも否定的な評価にさらされてきた人が多い。
家族からの場合もあれば、教師や友人からのいじめが影響している場合もある。
自分が、自分のコントロールを失うことを極度に恐れる。
僕は、非常にこの障害の傾向が強い。
【Bグループ】
『反社会性人格障害』
このタイプの人にとって、人生のテーマは「復讐」である。
自ら、人を愛したり、信頼することを捨て、良心の仮借なく、他者を傷つけ、騙しすことで生き延びることを選んだ。
最初からそうなのではもちろんなく、過去の体験が重くのしかかっている。反社会性人格障害の人に見出されるのは、拒絶された愛であり、否定されつづけた歴史である。
愛を求める心、希望を自ら凍りつかせることで、自分を守ることを選択した悲しい心である。そこにあるのは結局、裏返った愛への希求なのである。
このタイプの人は否定と肯定の意味することが逆になる。そのことをわきまえない限り、まわりからは単なる極悪非道な人物に映る。
自分がすべてにおいて否定されてきたというふうに単純化して過去を捉え、そこから復讐に自分のアイデンティティを見出す。
宅間守はそうだったと思う。
『反社会性人格障害』
このタイプの人にとって、人生のテーマは「復讐」である。
自ら、人を愛したり、信頼することを捨て、良心の仮借なく、他者を傷つけ、騙しすことで生き延びることを選んだ。
最初からそうなのではもちろんなく、過去の体験が重くのしかかっている。反社会性人格障害の人に見出されるのは、拒絶された愛であり、否定されつづけた歴史である。
愛を求める心、希望を自ら凍りつかせることで、自分を守ることを選択した悲しい心である。そこにあるのは結局、裏返った愛への希求なのである。
このタイプの人は否定と肯定の意味することが逆になる。そのことをわきまえない限り、まわりからは単なる極悪非道な人物に映る。
自分がすべてにおいて否定されてきたというふうに単純化して過去を捉え、そこから復讐に自分のアイデンティティを見出す。
宅間守はそうだったと思う。
【Bグループ】
『境界性人格障害』
近年増えてきた、というか、その数が増えたというより、潜在的にこの障害を抱えていた人たちが、顕在化してきたということなのだと思うけど、一般的にも知られるようになった。
情緒面や対人関係の変動の激しさと、周囲に対する操作的な態度が最大の特徴。つい先ごろまで機嫌がよかったかのに、相手の些細な一言で傷つくと、急に不機嫌になったり、死にかかわる挙動を示したりする。
躁鬱のように、何ヶ月という長い期間ではなく、もっと短いスパンで、気分の変調を繰り返す。
「見捨てられ抑うつ」という特性を持つ。
自分はいらない存在だ、という思いこみがあり、愛情や関心を失ったと感じることが、その思いこみを確信させ、絶望に陥らせる。これは、過去そういった経験をしたことが由来している場合が多い。
対人関係では、過度な親しみや尊敬を示したかと思うと、急に、相手を拒否したり、激しく悪態をつき始める。
境界性人格障害の特徴として重要なのが、愛情や関心を得ようとして行動することによって、相手をコントロールすることである。
その際たるものとして、自殺企図がある。
過去虐待された人物におおかったが、近年。普通の環境で育った人にも多く見られるようになってきた。だが、その人物の人生をたどってみると、必ず、どこかに愛情を損なわれた状況が浮上してくる。
身近な人たちはそのことに気づいていないことが多いが、実は気づいていないという反応自体、当人の気持ちが汲み取られてこなかったという証拠を裏付けている。
この障害の者には、その親の事情や、その親自身の抱える問題が大きくかかわっていることが多い。
『境界性人格障害』
近年増えてきた、というか、その数が増えたというより、潜在的にこの障害を抱えていた人たちが、顕在化してきたということなのだと思うけど、一般的にも知られるようになった。
情緒面や対人関係の変動の激しさと、周囲に対する操作的な態度が最大の特徴。つい先ごろまで機嫌がよかったかのに、相手の些細な一言で傷つくと、急に不機嫌になったり、死にかかわる挙動を示したりする。
躁鬱のように、何ヶ月という長い期間ではなく、もっと短いスパンで、気分の変調を繰り返す。
「見捨てられ抑うつ」という特性を持つ。
自分はいらない存在だ、という思いこみがあり、愛情や関心を失ったと感じることが、その思いこみを確信させ、絶望に陥らせる。これは、過去そういった経験をしたことが由来している場合が多い。
対人関係では、過度な親しみや尊敬を示したかと思うと、急に、相手を拒否したり、激しく悪態をつき始める。
境界性人格障害の特徴として重要なのが、愛情や関心を得ようとして行動することによって、相手をコントロールすることである。
その際たるものとして、自殺企図がある。
過去虐待された人物におおかったが、近年。普通の環境で育った人にも多く見られるようになってきた。だが、その人物の人生をたどってみると、必ず、どこかに愛情を損なわれた状況が浮上してくる。
身近な人たちはそのことに気づいていないことが多いが、実は気づいていないという反応自体、当人の気持ちが汲み取られてこなかったという証拠を裏付けている。
この障害の者には、その親の事情や、その親自身の抱える問題が大きくかかわっていることが多い。
【Bグループ】
『演技性人格障害』
他人を性的に誘惑することで、自分の価値を確かめる。
多くの異性と関係を結びつづけるケースが多い。
しばしば見られる問題として、虚言がある。
演技性人格障害の人に見られる虚言は、それにより利益を得るというよりも、注目や関心を引き寄せ、自己の虚栄心を満たす意図で行なわれる。ステータスや、経歴、家柄を偽ったり、重病を装ったりする。
性的な要素は重要なテーマであり、なによりも満足させるのは、相手が自分の肉体や、異性としての魅力を賛辞することである。このタイプは、一人の愛情では満足しにくく、世間的に羨ましがられるような結婚をしても、墓場のように感じ、鬱状態に陥ってしまう場合もある。
『演技性人格障害』
他人を性的に誘惑することで、自分の価値を確かめる。
多くの異性と関係を結びつづけるケースが多い。
しばしば見られる問題として、虚言がある。
演技性人格障害の人に見られる虚言は、それにより利益を得るというよりも、注目や関心を引き寄せ、自己の虚栄心を満たす意図で行なわれる。ステータスや、経歴、家柄を偽ったり、重病を装ったりする。
性的な要素は重要なテーマであり、なによりも満足させるのは、相手が自分の肉体や、異性としての魅力を賛辞することである。このタイプは、一人の愛情では満足しにくく、世間的に羨ましがられるような結婚をしても、墓場のように感じ、鬱状態に陥ってしまう場合もある。
【Bグループ】
『自己愛性人格障害』
自分が特別にすぐれている人間であると思いこむことによって、現実の脆弱な自分を守る。
自分の考えや、意見は常に正しく、成功しなければおかしいと考えたりする。他人を見下したり、傲慢に振舞うことで、自分の優位性を確立しようとする。
他者との共感性に乏しい。というよりあまり他人の気持ちに興味を持たない。まわりは、自分を賞賛するための存在であり、自分に否定的な意見は、憤慨こそすれ耳を貸すことはほとんどない。非難されて、切り捨てられるのが落ちである。
自分の野心の為に、他人の都合お構いなしに利用したりする。柔らかく言えばしたたかであるが、度を越せばそれは冷酷以外なにものでもない。
傲慢な態度とはうらはらに、内面は、非常に傷つきやすい。プライドが高く、基本的に完璧主義なので、少しでも、失敗したり、プライドが傷ついたりすると、抑うつやパニックなどの症状を引き示すこともある。
過剰な自信と野心が、上手く社会と結びつけば大きな成功を収めることも少なくないが、社会から阻害されるような状態では、自分の野心を受け入れてくれるものだけを相手に小さな王国を作り、そこに君臨することがある。
オームの麻原しょうこうなんか、自己愛性って言われてたよね。
『自己愛性人格障害』
自分が特別にすぐれている人間であると思いこむことによって、現実の脆弱な自分を守る。
自分の考えや、意見は常に正しく、成功しなければおかしいと考えたりする。他人を見下したり、傲慢に振舞うことで、自分の優位性を確立しようとする。
他者との共感性に乏しい。というよりあまり他人の気持ちに興味を持たない。まわりは、自分を賞賛するための存在であり、自分に否定的な意見は、憤慨こそすれ耳を貸すことはほとんどない。非難されて、切り捨てられるのが落ちである。
自分の野心の為に、他人の都合お構いなしに利用したりする。柔らかく言えばしたたかであるが、度を越せばそれは冷酷以外なにものでもない。
傲慢な態度とはうらはらに、内面は、非常に傷つきやすい。プライドが高く、基本的に完璧主義なので、少しでも、失敗したり、プライドが傷ついたりすると、抑うつやパニックなどの症状を引き示すこともある。
過剰な自信と野心が、上手く社会と結びつけば大きな成功を収めることも少なくないが、社会から阻害されるような状態では、自分の野心を受け入れてくれるものだけを相手に小さな王国を作り、そこに君臨することがある。
オームの麻原しょうこうなんか、自己愛性って言われてたよね。
【Aグループ】
『統合失調質(シゾイド)人格障害』
非常に繊細で傷つきやすい。そんな自分を守るために、人との接触を避け、孤独という防壁を築く。
自閉が基本的なスタイルである。
もっとも内奥まで侵入を許す関係である、恋愛や性交渉はシゾイドの人にとっては、自己を破壊しかねない危険を孕む。
しかし、人間としての性欲や、恋愛に対する憧れも持っているために、ジレンマに陥り、それが、プラトニックな関係への憧憬や、美しい芸術の源泉となることもある。しかし、同様に、狂気や死へとつながることもある。
必ずしも引きこもりのような状態を意味するわけではなく、社会的な営みを続けていても、他人との間に見えない自閉の幕を作ることで、自分の内なる世界をプロテクトしている場合も多い。
禁欲的に、黙々と自らの日課を果たす、たとえば僧侶のような定常的な環境では、非常に適正がある。
僕はこの障害の傾向が若干あるように思う。
『統合失調質(シゾイド)人格障害』
非常に繊細で傷つきやすい。そんな自分を守るために、人との接触を避け、孤独という防壁を築く。
自閉が基本的なスタイルである。
もっとも内奥まで侵入を許す関係である、恋愛や性交渉はシゾイドの人にとっては、自己を破壊しかねない危険を孕む。
しかし、人間としての性欲や、恋愛に対する憧れも持っているために、ジレンマに陥り、それが、プラトニックな関係への憧憬や、美しい芸術の源泉となることもある。しかし、同様に、狂気や死へとつながることもある。
必ずしも引きこもりのような状態を意味するわけではなく、社会的な営みを続けていても、他人との間に見えない自閉の幕を作ることで、自分の内なる世界をプロテクトしている場合も多い。
禁欲的に、黙々と自らの日課を果たす、たとえば僧侶のような定常的な環境では、非常に適正がある。
僕はこの障害の傾向が若干あるように思う。
【Aグループ】
『統合失調症型(スギゾタイパル)人格障害』
統合失調症が発症していない状態と捉えられている。
統合失調症と同じく、ドーパミンが渦状に作用している状態と考えられ、この障害の人は、いつも活発的で、興奮気味である。独り言や、思いだし笑いをしてしまうことも多い。
些細なことにも過剰な意味を感じ取る。
無関係な出来事を、自分自身のことに結び付けてしまうことは他の人格障害にも見られることだが、スギゾタイパルの場合、常識的でない、ユニークで奇妙な関連付けが特徴的。
その人にとっては、すべて、整然とつながっている理屈に適う言動や行動も、第三者の目からすると、不可解である。ゆえに、誤解をうけたり、変人扱いされたりすることがある。
人とは違った発想をするということだから、長所にも短所にもなるが、ときに自分の思考に支配され、自分自身を疲れさせ、自滅してしまうこともある。
太陽の塔を作った芸術家の、岡本太郎さんなんか、スギゾタイパルっぽかったような気がする。。。
『統合失調症型(スギゾタイパル)人格障害』
統合失調症が発症していない状態と捉えられている。
統合失調症と同じく、ドーパミンが渦状に作用している状態と考えられ、この障害の人は、いつも活発的で、興奮気味である。独り言や、思いだし笑いをしてしまうことも多い。
些細なことにも過剰な意味を感じ取る。
無関係な出来事を、自分自身のことに結び付けてしまうことは他の人格障害にも見られることだが、スギゾタイパルの場合、常識的でない、ユニークで奇妙な関連付けが特徴的。
その人にとっては、すべて、整然とつながっている理屈に適う言動や行動も、第三者の目からすると、不可解である。ゆえに、誤解をうけたり、変人扱いされたりすることがある。
人とは違った発想をするということだから、長所にも短所にもなるが、ときに自分の思考に支配され、自分自身を疲れさせ、自滅してしまうこともある。
太陽の塔を作った芸術家の、岡本太郎さんなんか、スギゾタイパルっぽかったような気がする。。。
【Aグループ】
『妄想性人格障害』
人は必ず裏切るものである、と確信しており、身近な人でも愛情や信頼を信じることができず、絶えず猜疑心に苛まれている。
その自分の思いこみが間違いであるとは考えず、自分の確信を証明しようと躍起になる。その疑り深さに嫌気が差した相手が距離を置くと、「やっぱり」と自分の不幸の確信を証明してしまう。
全く意味のない偶然さえも、妄想性人格障害の人には、自分の疑惑と関連づいてしまい、疑惑は確信に変わる。
人格障害の特徴として、その疑惑の念を抱いただけではとどまらず、大抵、疑惑に基づいて実行に移してしまう。
基本的な対人認識は、「他者は油断すると自分に危害を加える」というものであり、したがって、迫害念慮や被害念慮を抱きやすい。
妄想人格障害の人は、裏切られるという思いこみの為に、親密な関係が危険ゾーンとなる。信じたいという願望と裏切られるに違いないという確信が、強い葛藤を引き起こす。
他の人格障害と同様、愛と憎しみは、容易に反転し、愛情を求める気持ちが、激しい憎しみや復讐心に変わりやすい。
ストーカーや家庭内暴力などにこの障害が関与している場合が少なくない。
こうした傾向は、幼い頃や過去の屈辱的な体験や、迫害体験に根ざしている場合が多い。
『妄想性人格障害』
人は必ず裏切るものである、と確信しており、身近な人でも愛情や信頼を信じることができず、絶えず猜疑心に苛まれている。
その自分の思いこみが間違いであるとは考えず、自分の確信を証明しようと躍起になる。その疑り深さに嫌気が差した相手が距離を置くと、「やっぱり」と自分の不幸の確信を証明してしまう。
全く意味のない偶然さえも、妄想性人格障害の人には、自分の疑惑と関連づいてしまい、疑惑は確信に変わる。
人格障害の特徴として、その疑惑の念を抱いただけではとどまらず、大抵、疑惑に基づいて実行に移してしまう。
基本的な対人認識は、「他者は油断すると自分に危害を加える」というものであり、したがって、迫害念慮や被害念慮を抱きやすい。
妄想人格障害の人は、裏切られるという思いこみの為に、親密な関係が危険ゾーンとなる。信じたいという願望と裏切られるに違いないという確信が、強い葛藤を引き起こす。
他の人格障害と同様、愛と憎しみは、容易に反転し、愛情を求める気持ちが、激しい憎しみや復讐心に変わりやすい。
ストーカーや家庭内暴力などにこの障害が関与している場合が少なくない。
こうした傾向は、幼い頃や過去の屈辱的な体験や、迫害体験に根ざしている場合が多い。
人格障害は大まかにA、B、C三つのグループに分けられてて、さらに10の種類に分けられているらしい。
Aグループ・・・非現実的な思考にとらわれやすい。
Bグループ・・・自己顕示性や対人操作性が強く、気分の変動も伴いやすい。
Cグループ・・・神経質ではあるが、穏やかで、障害のレベルとしては最も低く、神経症レベルに近い。
【Aグループ】
・妄想性人格障害
・統合失調質人格障害
・統合失調症型人格障害
【Bグループ】
・境界性人格障害
・反社会性人格障害
・自己愛性人格障害
・演技性人格障害
【Cグループ】
・回避性人格障害
・強迫性人格障害
・依存性人格障害
人格障害は、人格のゆがみ、偏りが、職業上や日常生活において、トラブルとなるに至ったものに対して呼ばれる。
統合失調症や解離性同一性障害などとは異なり、厳密には精神的疾患ではない。
だからこそ、誰でも持ちうる障害だといえるのかもしれないね。
Aグループ・・・非現実的な思考にとらわれやすい。
Bグループ・・・自己顕示性や対人操作性が強く、気分の変動も伴いやすい。
Cグループ・・・神経質ではあるが、穏やかで、障害のレベルとしては最も低く、神経症レベルに近い。
【Aグループ】
・妄想性人格障害
・統合失調質人格障害
・統合失調症型人格障害
【Bグループ】
・境界性人格障害
・反社会性人格障害
・自己愛性人格障害
・演技性人格障害
【Cグループ】
・回避性人格障害
・強迫性人格障害
・依存性人格障害
人格障害は、人格のゆがみ、偏りが、職業上や日常生活において、トラブルとなるに至ったものに対して呼ばれる。
統合失調症や解離性同一性障害などとは異なり、厳密には精神的疾患ではない。
だからこそ、誰でも持ちうる障害だといえるのかもしれないね。
人間は、多かれ少なかれ、人格障害的な気質を持っていると思う。自分がどういった人格障害的な傾向をもっているかということを調べたりしておくことは、様様なトラブルを未然に対処する上でも非常に重要なんじゃないかと思う。病院の絶対信仰みたいなのがあるけど、医者に判断をまかせっきりなのも危険だ。
たとえ、自分がそういった障害の診断をされていなかったとしても、人間であるなら、何らかの人格障害の傾向を見出すことができるはずだし、そうであるなら、人格障害がどんなものであり、その治療法を知っておけば、充分に応用が利くはずである。
人は、自分を障害に当てはめるのを嫌ったりする。鬱病の人が自分の鬱を認めなかったり。
それには、精神的疾患に対する根強い偏見があるのは事実だし、安易に自分を障害に当てはめて、それを逃げ道にしてしまいかねない自分への呵責の念であるのかもしれない。
でも、僕は自分が、そういった障害かはわからないが、そういった傾向がある、という認識は、役に立つと思う。自分がこういった障害かもしれない。とか、公言する必要は無い。ただ自分が認識する意味において、現在医学的に、その解明も対処法もここまで進んできた様様な人格障害の定義やデータを利用しない手は無いと思うのだ。
障害と決め付けるとそれを盾にして物事から逃げてしまうという自覚があるなら、それを頑張って盾にしないようにしなければいい。
障害(もしくはその傾向)と定義することは、今まで持っていた物が盾だと気づいただけで、これまでもずっと持っていたものに変わりはないんだから。でも盾が不必要なもので、捨てたい場合、自分が盾を持っているという自覚が無いと不必要という認識に到達せず、捨てることはできない。
自分がこういった障害的な気質を持っているという自覚を持たなければ、いつまでたっても、その苦しみが自分の気質からきているのだと気づかず対処もままならない。という風に思う。
たとえ、自分がそういった障害の診断をされていなかったとしても、人間であるなら、何らかの人格障害の傾向を見出すことができるはずだし、そうであるなら、人格障害がどんなものであり、その治療法を知っておけば、充分に応用が利くはずである。
人は、自分を障害に当てはめるのを嫌ったりする。鬱病の人が自分の鬱を認めなかったり。
それには、精神的疾患に対する根強い偏見があるのは事実だし、安易に自分を障害に当てはめて、それを逃げ道にしてしまいかねない自分への呵責の念であるのかもしれない。
でも、僕は自分が、そういった障害かはわからないが、そういった傾向がある、という認識は、役に立つと思う。自分がこういった障害かもしれない。とか、公言する必要は無い。ただ自分が認識する意味において、現在医学的に、その解明も対処法もここまで進んできた様様な人格障害の定義やデータを利用しない手は無いと思うのだ。
障害と決め付けるとそれを盾にして物事から逃げてしまうという自覚があるなら、それを頑張って盾にしないようにしなければいい。
障害(もしくはその傾向)と定義することは、今まで持っていた物が盾だと気づいただけで、これまでもずっと持っていたものに変わりはないんだから。でも盾が不必要なもので、捨てたい場合、自分が盾を持っているという自覚が無いと不必要という認識に到達せず、捨てることはできない。
自分がこういった障害的な気質を持っているという自覚を持たなければ、いつまでたっても、その苦しみが自分の気質からきているのだと気づかず対処もままならない。という風に思う。
アイデンティティ (3)
2004年9月7日 連載そんじゃあさあ、つまりは、人間がアダムとイブから枝分かれして、記憶をそれぞれ、DNAという形で繁殖されてきた中で、それぞれの記憶の総体が本能(繁殖、生きる)という行為以外に自我という意識を生み出してったってことはだねえ、それはもう人間という一つの巨大なネットワークだよね。
ほんで、「攻殻機動隊」の問いになっちゃうわけなんだけど、意識が記憶の媒体なら、巨大なコンピュータのネットワークの中で、記憶が積み重なっていったときに、もしその大量のデータのなかから意識なるものが生み出され、自分は、生き物であると定義する場合、人間との違いはなんなのかってことなんだよね。彼らを生き物と定義するべきか否か。
彼らは生き物であると認めた場合、逆説的に人間は単なるデータ(記憶)の総体に過ぎず、自我、意識なるものはただの幻想だってことを認めてしまうことにもなるってなわけだ。そうなると、電脳(巨大な電子ネットワークから生まれた意識なるもの)と、われわれの意識とを差異化するものが何もなくなってしまうんだな。
「攻殻機動隊」はこれを機械の側の視点から描いているわけだけど、一つのアンドロイドが、自分は何者なのかという自我を問うわけ。それはつまるところ自分に自我はあるのか、自我って何をもって自我なのか?ってことを悩んでるわけなんだよね。
んで、ここで、人間が仮に意識の差異化に固執するとしたならば、それはきっと恐れからくるんだろうと思うわけ。人間としてのアイデンティティの喪失からの恐れ。
人間が人間として他のものと区別するための最後の砦が、この高度な意識、自我というものの存在だということなんだね。そして、そこにこそ人間は存在意義を見出してる。種としての自己防衛本能が、他の物質と差異化することで優位性を保とうとしてるんじゃないかと思うわけ。
自分が単なる物質なんだってわかってしまったら、じゃあ、そんな幻想の意識のためになぜ俺はあくせく生きようとなんかしてんだ?ってことを思うことにもなりかねないという恐れ。
僕はアイデンティティという言葉にすごい懐疑的なんだけど、それは上記の理由によるわけなのだ。
アイデンティティという言葉は、人間が種の保存という本能から他と差別化するために生み出した恣意的な言葉の防御壁に過ぎない。
本当はアイデンティティなんてないんだよって思うわけ。
だけど、たとえ僕のこの意識や思考が単なる記憶の積み重ねに過ぎなくとも、アイデンティティという言葉に依存してしまうことは確かなんだよね。懐疑的なんだけどそれを模索せずにはいられない。人間って弱いね。
アイデンティティって言葉は無意味だけれど、人間の本能に則していうなら至極大事な言葉なんだね。 (終)
ほんで、「攻殻機動隊」の問いになっちゃうわけなんだけど、意識が記憶の媒体なら、巨大なコンピュータのネットワークの中で、記憶が積み重なっていったときに、もしその大量のデータのなかから意識なるものが生み出され、自分は、生き物であると定義する場合、人間との違いはなんなのかってことなんだよね。彼らを生き物と定義するべきか否か。
彼らは生き物であると認めた場合、逆説的に人間は単なるデータ(記憶)の総体に過ぎず、自我、意識なるものはただの幻想だってことを認めてしまうことにもなるってなわけだ。そうなると、電脳(巨大な電子ネットワークから生まれた意識なるもの)と、われわれの意識とを差異化するものが何もなくなってしまうんだな。
「攻殻機動隊」はこれを機械の側の視点から描いているわけだけど、一つのアンドロイドが、自分は何者なのかという自我を問うわけ。それはつまるところ自分に自我はあるのか、自我って何をもって自我なのか?ってことを悩んでるわけなんだよね。
んで、ここで、人間が仮に意識の差異化に固執するとしたならば、それはきっと恐れからくるんだろうと思うわけ。人間としてのアイデンティティの喪失からの恐れ。
人間が人間として他のものと区別するための最後の砦が、この高度な意識、自我というものの存在だということなんだね。そして、そこにこそ人間は存在意義を見出してる。種としての自己防衛本能が、他の物質と差異化することで優位性を保とうとしてるんじゃないかと思うわけ。
自分が単なる物質なんだってわかってしまったら、じゃあ、そんな幻想の意識のためになぜ俺はあくせく生きようとなんかしてんだ?ってことを思うことにもなりかねないという恐れ。
僕はアイデンティティという言葉にすごい懐疑的なんだけど、それは上記の理由によるわけなのだ。
アイデンティティという言葉は、人間が種の保存という本能から他と差別化するために生み出した恣意的な言葉の防御壁に過ぎない。
本当はアイデンティティなんてないんだよって思うわけ。
だけど、たとえ僕のこの意識や思考が単なる記憶の積み重ねに過ぎなくとも、アイデンティティという言葉に依存してしまうことは確かなんだよね。懐疑的なんだけどそれを模索せずにはいられない。人間って弱いね。
アイデンティティって言葉は無意味だけれど、人間の本能に則していうなら至極大事な言葉なんだね。 (終)
アイデンティティ (2)
2004年9月6日 連載ほんでだなあ、そうなってくっと人間という存在は、いったい何を持って存在しているとするのかってことが問題になってくるのだなあ。
何に存在の証としてのアイデンティティを求めるかってことなんだねえ。肉体を無くす方向に進んでいる人間にとって、もうすでに肉体がアイデンティティにならないってのは自明であって、そんなら脳みそって話になりそうだけど、脳みそって一種の思考や記憶や感覚をつかさどる器官に過ぎないわけでしょう。脳死なんてなったら、やっぱり脳はあっても自分があるってことにはならないよね。とすると、人間としてのアイデンティティは、結局のところ、そういった「我思う、ゆえに我あり」ってな意識でしかないことになっちゃうわけだよね。
感覚も、感情も意識が織り成す作用だよね。じゃあ、意識っていったい何なのかなあ。
こういった考えを突き詰めていってるのが、押井監督。
彼の映画「攻殻機動隊」と、「イノセンス」においてこの問題を扱ってるわけなんだけど、押井監督は、インタビューで「意識とは、記憶の積み重ね」だって言ってる。
一個人としての記憶ってことじゃなくてね、人間が派生した頃からの連綿とした記憶の連なりが意識を形成したんだって。
人間は、DNAという記憶を運ぶ単なる入れ物に過ぎないって言った学者もいたわけで。
ははーん、って面白い。
なあるほど、そもそも、人間にしろひとつのアメーバから出発したわけで、その過程ではまだ痛覚も感覚もなかったものが、発展を経ていく中で、記憶を蓄積していく中から、さまざまな自己保存のための意識を確立させていって、結果的に今、僕たちが享受している感情や感覚、思考といった意識はそういった過去の記憶の蓄積から生み出された産物であると。
そんじゃあさあ・・・(続く)
何に存在の証としてのアイデンティティを求めるかってことなんだねえ。肉体を無くす方向に進んでいる人間にとって、もうすでに肉体がアイデンティティにならないってのは自明であって、そんなら脳みそって話になりそうだけど、脳みそって一種の思考や記憶や感覚をつかさどる器官に過ぎないわけでしょう。脳死なんてなったら、やっぱり脳はあっても自分があるってことにはならないよね。とすると、人間としてのアイデンティティは、結局のところ、そういった「我思う、ゆえに我あり」ってな意識でしかないことになっちゃうわけだよね。
感覚も、感情も意識が織り成す作用だよね。じゃあ、意識っていったい何なのかなあ。
こういった考えを突き詰めていってるのが、押井監督。
彼の映画「攻殻機動隊」と、「イノセンス」においてこの問題を扱ってるわけなんだけど、押井監督は、インタビューで「意識とは、記憶の積み重ね」だって言ってる。
一個人としての記憶ってことじゃなくてね、人間が派生した頃からの連綿とした記憶の連なりが意識を形成したんだって。
人間は、DNAという記憶を運ぶ単なる入れ物に過ぎないって言った学者もいたわけで。
ははーん、って面白い。
なあるほど、そもそも、人間にしろひとつのアメーバから出発したわけで、その過程ではまだ痛覚も感覚もなかったものが、発展を経ていく中で、記憶を蓄積していく中から、さまざまな自己保存のための意識を確立させていって、結果的に今、僕たちが享受している感情や感覚、思考といった意識はそういった過去の記憶の蓄積から生み出された産物であると。
そんじゃあさあ・・・(続く)